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1945.7.30、終戦間近の海軍工廠が丸裸 米軍機が上空から連続撮影、福林さんが米国立公文書館で入手 【舞鶴】

1945.7.30、終戦間近の海軍工廠が丸裸 米軍機が上空から連続撮影、福林さんが米国立公文書館で入手 【舞鶴】

投稿日時:2010年07月30日(金)

 1945年7月30日の舞鶴空襲。舞鶴軍港を標的にした爆撃の写真を7月27日付で紹介したが、別の艦載機が舞鶴海軍工廠を上空から連続撮影した写真も、「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」の福林徹代表=亀岡市=が、米国立公文書館で入手した。当時、海軍の艦艇や兵器を製造・修理し、軍事機密だった海軍工廠の様子が手に取るようにわかる。福林さんからの提供を受け、これまで公表されていなかった写真を2回にわたって紹介する。 連続写真は、米軍空母ワスプの艦載機が30日午前10時35分に撮影した。フィルムの下部には表記の一部に間違いはあるものの、舞鶴海軍基地を示す文字が記される。低空を飛行して撮影しているため建物や道路などはっきりと確認できる。 写真1はフィルムに汚れがあるが、海軍機関学校の建物(現在の海上自衛隊舞鶴地方総監部)、右下に浮かぶ船には赤十字のマークが見えることから病院船と思われる。海面に帯が見えるが流出した油によるものか。 写真2は第一船台、第二船台、大きな屋根の建物は焼鉄場、岸壁には小型船が数隻係留されている。右上の船の横で爆撃による水柱が上がる。 写真3はその続き。大きなドックが2つ並ぶ。中央が1904(明治37)年完成の第一船渠(せんきょ)、その下が14(大正3)年完成の第二船渠。第一の横に小さなドックがあり、船が入っている。 舞鶴の近現代史を研究してきた舞鶴高専名誉教授の戸祭武さんは「戦後になってから旧舞鶴海軍の施設を空撮した写真はあるが、戦時中に写真撮影が禁止されていた舞鶴海軍工廠を米軍が詳しく空撮した写真は初めて見た。終戦間近の工廠の様子を知ることができる貴重な記録だ」と話している。

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