非戦の思い、戦死した夫との570通の書簡 阿部さんが60年の封印解き語り部活動【舞鶴】
投稿日時:2007年12月11日(火)
舞鶴出身で元小学校教師の阿部(旧姓・富田)鈴子さん(88)=城陽市=が、太平洋戦争中、南方戦線で28歳で亡くなった夫と10年間に交わした約570通の手紙とハガキを、約60年間封印してきた後に、その手紙を通して夫への思慕と戦争体験を語る活動を続けている。12月8日、余部下の中総合会館で教え子ら約70人を前に、「あの時代、私も戦争を許容した1人。2度と繰り返してはいけない」と力強く話した。 阿部さんと3つ年上の夫、四郎さんは七日市生まれで、家は隣同士の幼馴染み。鈴子さんが女学校に、四郎さんは進学を目指し東京に上京した1934年から文通が始まった。36年2月6日付の四郎さんからの手紙には「唯一の鈴子さんを戀(こい)してゐる。愛してゐる。」とストレートな想いが綴られる。41年に結婚した。 43年に四郎さんは妻と長女、お腹に2人目の子供を残しニューギニアへ出征した。戦地から「ヨウコチャン カゼヲヒカナイヨウに オトウサンハイツモイノッテイマスヨ」と家族を思いやるハガキなどが届いた。44年2月17日付の戦地からの約60通目のハガキが最後の便りに。 ニューギニアのアイタペで同年4月26日、戦死していたと知ったのは終戦後の46年。夫の死を認めることができず、手紙と思い出を遠ざけた。戦後教師に復帰し、中筋小や明倫小勤務を経て、63年に城陽市に転勤した。 転機は昨年訪れる。親類の誘いでニューギニアへの訪問を控えたある日、押入れから手紙を入れた箱が落ち、読み始めると涙が止まらなくなった。同年4月に現地で「やっと来れました」と夫に呼びかけると過去の封印が解け、「戦争のことを伝えなければ」との思いが湧いた。 太平洋戦争開戦日の8日、舞鶴母親連絡会主催の学習会に招かれた。「戦地へ行く夫を引き止めもしなかった。戦争は音もなくやってくる。戦争を起こしてはいけないと皆さんの前で話すのが私の生きる目標です」と語った。
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