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舞鶴山城研究会 、踏査の成果を1冊の資料集に 戦国時代の舞鶴とその周辺の山城調査

舞鶴山城研究会 、踏査の成果を1冊の資料集に 戦国時代の舞鶴とその周辺の山城調査

投稿日時:2009年02月17日(火)

最終稿のチェック作業をするメンバーたち

 中世の戦国時代の舞鶴とその周辺の山城を踏査する「舞鶴山城研究会」(廣瀬邦彦会長)が、山城の図面(縄張図)の作成などの調査をほぼ終え、その成果を1冊の資料集にしようと、約1年がかりで作業に取り組んでいる。小高い山の上に築かれた山城の視点から、舞鶴の中世を知ろうと会員たちは登ってきた。志楽や由良川沿いなど335カ所の山城の図面や解説などを掲載する。3月末までに発刊の予定だ。  防御の目的などで造られた山城は、戦国時代に最も発達した。そのころ加佐郡と呼ばれた舞鶴では、丹後の一色氏と若狭の武田氏が武力衝突していたため、近隣の有力荘園農民らが自力で山城を築いた。山城と疑わしいものも含めると約160カ所あり、近隣の市町村と比べると群を抜いて多いという。古文書の少ない中世を知る上で、大きな手掛かりになる。  2004年に市教委主催の溝尻城見学会に参加した有志らで同好会である研究会を結成。高槻市在住の山城研究家で、舞鶴周辺も調査する高橋成計さんの案内を受けて活動を開始し、この3年間に6、7人のメンバーが毎月、市内の山城を歩き図面描きや城域の調査などをした。  調査に一区切りがつき、府地域力再生プロジェクトの補助金を得て資料集を出版する。図面は高橋さんが描き、メンバー八人が写真や文章などを役割分担、大浦や田辺など8地区に分けて個々の山城の特徴、踏査の感想などの原稿を書いた。北田辺の市郷土資料館学芸員室に集まり、今月は最終稿をチェックする確認作業をした。  廣瀬会長(49)は「戦国時代の山城がいつも見慣れている裏山にあることを知ってびっくりした。山城を入口に地域の全体へと歴史の調査が広がり、まるで中世にタイムスリップしたようで楽しい作業です」と話している。350部作成し、有料で販売もする予定。

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