舞鶴ボーイズ 山﨑選手が京都選抜に選出
投稿日時:2018年09月28日(金)
来月14日に岐阜県内の球場で、第25回村瀬杯・ボーイズリーグ府県選抜野球大会が開催される。大会に出場する京都府選抜チームに、舞鶴ボーイズ所属の山﨑陸(りく)君が(白糸中3年)選ばれた。 市内からはただ一人の選出で、大会に向けた練習にも力がこもっている。
「選ばれたからには、チームの看板を汚さぬよう、しっかりと頑張りたい」山﨑君は、しっかりと前を見据えて抱負を述べた。物静かながらも内に秘めた情熱を感じさせる眼差しに、少年の確かな覚悟を感じる。山崎君は、投手と遊撃手の他に捕手もこなす、ユーティリティプレーイヤー。持ち前の身体能力の高さで、どのポジションも高いレベルでこなせることが魅力だ。身長173cmで体重64kg。成長途上にある身体にも、将来の可能性を大きく感じさせる。舞鶴ボーイズでは主力として活躍する山崎君だが、幼い頃は人見知りで内気な性格だったという。野球を始めたのは小3の頃。従兄弟の影響が大きかった。舞鶴東スポ少に入った山崎君は、高学年になると頭角を現す。チームは市内の大会で優勝し、京都府でも準優勝するなど、充実した日々を過ごした。今回の選抜チーム入りは、大会での活躍が認められた形だが、山崎君に慢心はない。「他の選手たちのレベルはすごい。全てにおいて自分の実力が追い付いていないと痛感している」と表情を引き締める。過去にも4人のプロ野球選手を輩出した舞鶴ボーイズ。その誇り高い伝統を受け継いだ少年の挑戦は、始まったばかりだ。
【伝統のチームの一員として】
「野球がうまくなる前に、人間として成長してほしいと願っている」同チームを永年率いる山林明雄監督(69)は、柔和な表情で話した。昭和24年、山林さんは大阪市に生まれた。町工場を経営する両親の元、5人きょうだいの末っ子として育った。高校から福井県に野球留学をした山林さんは、甲子園出場こそ叶わなかったが、進学した福井工大でそれまでの努力を結実させていく。投手で四番。中部代表となったチームの主力として、神宮での大会では本塁打も放つなど大活躍をした。そうした実績が評価され、山林さんはドラフト5位で大洋ホエールズに指名される。昭和46年のことだった。しかし、プロの世界は厳しく、結局1軍での登板がないまま、7年間の選手生活に終止符を打った。球団からの誘いもあったが、妻の実家のある舞鶴で新生活を始めることになった。野球漬けの毎日から、生活は大きく変わった。だが、変わらなかったことがある。野球への情熱だ。昭和60年、その情熱は「舞鶴ボーイズ」結成に昇華する。当時世間の耳目を集めたPL学園のKKコンビ。自分も、あんな選手を育ててみたい。そんな思いが沸き上がってきたのだ。「貧しい家庭に育った自分が大学まで行くことが出来、プロ選手にもなれた。これは、周りの人々の支えのおかげ。自分の経験を伝えて、子どもたちに夢を与えることで、恩返しをしたい」
以来、30数年にわたり、当地でボーイズの指導に当たってきた山林さん。その間には、プロ野球に進んだ4人をはじめ、多くの名選手を育て上げてきた。そんな山林さんの経験の中から見ても、山﨑君の身体能力は高いと太鼓判を押す。しかし、結局のところ一番大事なのは「気持ち」だと山林さんは言う。「こころの強さが、大きな分かれ目になる。これは人生でも同じ。子どもたちには、野球を通して学んだことを生かして、実りある人生を送ってほしい」同チームからは、これまで200人を超える選手が巣立って、それぞれの夢に向かっていった。今後も多くの夢が花開くことを期待したい。
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