最新の記事

  

自慢のスイーツで街を元気に

自慢のスイーツで街を元気に

投稿日時:2020年04月14日(火)

 市内及び近郊で複数の飲食店を経営する「ビストロ アメイロ アルル(駒井克洋代表)」が、同社の菓子製造部門で製造販売する「舞鶴プリン」を、舞鶴市内と宮津市内の小中学生およそ8600人に無料で進呈すると発表した。

 新型コロナウイルス感染拡大に伴い、全国的に飲食店の売り上げが極度の低迷を続ける中、同社でも3月から徐々に影響が出始めた。今月に入りその流れは加速し、同社が展開する京都丹後鉄道くろまつ号のランチコースが、予約の取りづらい状態が続いていた昨年に比べると62%減となるなど、経営に深刻な打撃を受けている現状だ。また、売り上げの柱の一つとなっている「舞鶴プリン」は、宮津市内の店舗で販売しているものも含めて、昨年対比で9割減ほどの壊滅的な落ち込みを見せているという。そんな中、飲食部門の休業を決めた駒井さんは、「非常に難しかった」と決断に至る心境を振り返った。同社の従業員は21人。休業によって困る人は1人も出したくはないが、現状で営業を続けるのは感染防止の観点には逆行している。悩んだ末にたどり着いた答えは、飲食営業を休業するものの地域のために働くというものだった。「国がコロナで影響を受けた事業者への救済措置を発表した。そのお金を有効に使って地域に還元しようと考えた」と駒井さん。休業中もプリンを作り続けることは、卵農家などの生産者を助けることにもなる。駒井さんの提案を受け、不安を抱えていた店のスタッフは「感動した」と団結し、休業中の目標が定まった。「こんな状況がずっと続けば店はつぶれるが、例えつぶれるとしても前のめりに倒れたい」と駒井さんは前を向いた。

【育ての街 舞鶴に 子どもたちの笑顔を】

 駒井さんが生れたのは千葉県我孫子市。3人兄弟の末っ子だった。時は1979年、まだ開発が進まない自然豊かな環境で、のびのびと育った。10歳の時、父の仕事の都合で神戸へ。母の実家が神戸市長田区だったこともあり、関西には元々馴染みがあった。転機が訪れたのは13歳の時。肺がんによる父の急死だった。葬式の日、悲しかったが不思議と涙は出なかった。しかし、一人の時には涙はとめどなくあふれ出た。「その頃から周りの態度が変わった」と駒井さんは振り返る。やたらと過保護に扱われ、自らの進路についても次第に朧になっていった。高校を卒業した後は紆余曲折を経て、父の実家がある北海道へ移った。そこで暮らした三年間、様々な仕事を経験し自らの適性を見定めた。駒井さんは、父の出生地である北海道で「人と関わる仕事の面白さ」に気付き、宮津出身の妻に出会った。その後宮津に身を寄せることになり、舞鶴の飲食店に勤務。33歳の時に独立し、アルルを開いた。「舞鶴は、ゆかりのなかった自分をあたたかく迎え入れて育ててくれた街。暗く沈んだこんな時に、少しでも元気になってもらうことができればうれしい」と駒井さんは笑顔を見せた。

 同社では13日から店先に設置したテントでプリンを配布している。4月末日まで。迅速に配布するため、子どもの数を伝えるだけで手渡しするとしている。宮津市内の店舗でも配布しており、一日の上限は400個程度。【配布場所】魚屋252-2(アルル)▲時間/午前10時30分~午後6時※当日配布個数に達した時点で終了

この記事をシェア!
Management BY
舞鶴市民新聞
当サイトは舞鶴市民新聞社が運営しています
ページトップへ