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細川幽斎古今伝授の松の額 川戸さん(引土)寄贈、田辺城資料館で展示【舞鶴】

細川幽斎古今伝授の松の額 川戸さん(引土)寄贈、田辺城資料館で展示【舞鶴】

投稿日時:2007年09月11日(火)

「寿」の字が刻まれた額

 細川幽斎が古今伝授を行ったとされる田辺城の庭の松で作ったとされる額がこのほど市教委に寄贈され、南田辺の田辺城資料館(岡野伸一館長)に展示されている。由来を記した文書には、額には牧野氏の筆跡で「寿」の文字が刻まれているとされる。古今伝授の松に改めて関心が集まっている。入館無料。  廃城となった田辺城を整備して、1907(明治40)年に舞鶴公園が開設されて今年が100年を迎えることから、引土の川戸彰さん(78)が自宅に置いていたものを寄贈した。川戸さんの亡くなった父親の国太郎さんが骨董を趣味とし、額は古物商から購入した。彰さんは「私がもの心ついたころ既に家にあった」と話す。  額は縦25センチ、横60センチ。額の添書には、古今伝授の松のいわれとともに、1805(文化2)年に枯れた松に、藩主の牧野以成の手になる「寿」の1字を刻し、牧野氏の縁者に贈ったと記されている。  古今和歌集の秘事口伝の伝承者だった幽斎は1600年、後陽成天皇の弟の智仁親王に古今伝授を開始したが田辺籠城戦に入った。そこで親王は西軍に囲まれた城に家老を使わせ和睦を勧めたが、幽斎は和睦を断って親王への古今伝授の証明書と歌を送った。後に開城して幽斎は城を出たが、庭の松の下に「古今伝授松」の字を記した札が残っていたと伝えられた。  その松の下が秘伝書を送った場とされ、「古今伝授の松」と言われるようになり、庭は心種園と名付けられた。『舞鶴市史』によると、文政(1818年)の末ごろに枯れ、その後に植えた松も廃城の際になくなり、1900(明治33)年に植えなおしたとされる。現在の松は1971(昭和46)年に植えられた。

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