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紐解かれる千年の歴史 ~朝来・大波「田畔遺跡」3ヵ年の調査を報告

紐解かれる千年の歴史 ~朝来・大波「田畔遺跡」3ヵ年の調査を報告

投稿日時:2018年09月14日(金)

 昨年発掘調査された大波上の「田畔(たぐろ)遺跡」についての講演会が2日、大波上集会所であった。地域住民ら約40人が参加し、地元遺跡の調査報告に耳を傾けた。

 講演会は朝来郷土史研究会と大波上町内会が共催。地元の遺跡について、これまでの調査結果を総合的に知ってもらおうと企画。田畔遺跡を調査した文化振興課の松﨑健太さんが講演した。「田畔遺跡」は平成18、19年に一般廃棄最終処分場の建設に先立って調査された。その後、処分場拡張のため同29年にも調査された。調査面積は延べ約1万5000㎡になり、講演会はこの3カ年の成果が報告された。遺跡は北(朝来川側)から南(山手側)へ伸びる形で調査され、縄文から鎌倉時代にかけての遺構や遺物が発見された。平成29年度の調査では、7世紀の古墳石室を発見したほか、7世紀中頃~8世紀前半の竪穴式住居や掘立柱建物跡、祭祀に使う土馬、カマド跡などが見つかった。松﨑さんは、遺跡は7世紀中頃~8世紀初頭にかけて急速に規模を拡大した集落で、別の集落から移動または派生した可能性を示唆。また、隣接する「大波上・奥原古墳群」の造営との関係や、海側に存在する「より古い時期の古墳」の存在から、「古い時期の古墳」「大波上・奥原古墳群」に関わった「田畔遺跡」の前身となる未知の集落の遺跡が眠っている可能性がある見方を示した。松﨑さんは「田畔遺跡は広範囲な面積を発掘でき、全体像が判明した市内でも貴重な事例であり、大波上・奥原古墳群との関係が想定できる集落遺跡として大変意義深い」と説明した。加えて、「大化の改新」以降、古墳が禁止された時代背景を説明。豪族たちは古墳造営の変わりに寺院建築に集中していったとし、朝来地域のどこかにも飛鳥、奈良時代の古代寺院跡があったとしても不思議ではないと仮説を立てた。参加者たちは自身のルーツにもつながる浪漫感じる報告に聞き入っていた。大波上区長の藤村一彦さんは「地元の歴史が皆で聞くことができてよかった。多くの方に興味を持ってもらえたと思う。今後も続けていきたい」と話した。
(井上 務)

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