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濱口代表へ感謝伝える 中筋少年野球クラブ創設者 4月に急逝 偲ぶ会、チーム20周年の歩み【舞鶴】

濱口代表へ感謝伝える 中筋少年野球クラブ創設者 4月に急逝 偲ぶ会、チーム20周年の歩み【舞鶴】

投稿日時:2014年08月26日(火)

 城南中生徒でつくる軟式野球チーム「中筋少年野球クラブ」の創設者で、今年4月に急逝した濱口芳雄さんを偲ぼうと、8月16日、円満寺の舞鶴グランドホテルで、現役部員27人やOB、保護者ら総勢110人が集まった。今年は同クラブの結成20周年にもあたり、参加者たちはチームワークを大切にした濱口さんとクラブの歩みを振り返り、思い出を語った。チーム代表を務め、創設時の1994年の市長旗大会で準優勝、翌年から3シーズン連続で優勝した。議長杯で優勝4回、舞鶴リーグで優勝6回などを重ねた。中学チームの試合の機会を増やそうと、濱口さんの呼びかけで池内と高野地区のチームと城南リーグを結成し、全市域を対象とするMJBリーグへと発展した。今春の亀岡市長旗争奪少年野球大会に出場し、2回戦で抽選勝ちした時には濱口さんは元気な様子だったが、脳幹出血で4月1日に63歳で亡くなった。選手たちは葬儀で優勝を誓って見送り、決勝まで全て完封勝利で約束を果たした。今年が20周年になることから生前、濱口さんは記念の集いをやろうと話していた。そのためチームスタッフと父母会が、遺志を継ぎ20周年と偲ぶ会を開いた。京阪神からOBや野球関係者らが、濱口さんの微笑む写真が置かれた祭壇に献花、黙祷した。舞鶴野球連盟の倉橋貢会長が「濱口さんは相手の気持ちを尊重した人。今後も中筋クラブの活躍に期待したい」、MJBリーグの平野光雄会長が「私にとって兄貴分のような存在で、子供と野球が大好きだった」とあいさつした。キャプテンの高田智哉選手(15)は「夏にはTシャツの汗が搾りだせるほどノックをしていた濱口さんの姿が印象にあります。秋の西京都大会で優勝することを伝えたい」と話す。父母会の馬場優子会長(41)は「グラウンドの草引きなど雑用にも自らが率先して動き、選手たちの見本になっていました。反抗期の子供たちを受け止めてもらい、進路などの相談にものっていただきました。突然のお別れでお礼を言えなかったのが残念です」と振り返っていた。妻の信子さん(65)は「諦めずに最後まで全力で戦い、そして楽しんで野球をしてほしいと口にしていました。野球を続けてこられたのもスタッフ、父母会のおかげです。きょうはたくさんの方に集まっていただき、主人が野球を通してこんなにも多くの財産を残してくれたことを誇りに思います」とお礼を述べた。

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