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浮島丸事件 殉難60周年集会 追悼する会、事業継続へ決意新た【舞鶴】

浮島丸事件 殉難60周年集会 追悼する会、事業継続へ決意新た【舞鶴】

投稿日時:2005年08月26日(金)

金領事から感謝状が贈られ、お礼を述べる野田会長(左)

 終戦直後に多数の朝鮮人らが犠牲となった浮島丸事件の殉難60周年追悼集会が8月24日、下佐波賀の殉難の碑公園で行われた。事件から60年の節目を迎えたことから、犠牲者の遺族や遺体の収容活動に関わった人をはじめ約400人が訪れ、冥福を祈った。また、集会を主催した「浮島丸殉難者を追悼する会」は事件から東アジアの平和をテーマに考えるシンポジウムも開き、追悼を続けることで誤った歴史を繰り返さないとの決意を語り、パネリストたちが追悼の意義の重要さを述べた。労働に従事させられていた朝鮮人とその家族を乗せた船「浮島丸」が青森県から出航し、1945年8月24日に朝鮮半島へ向かう途中で舞鶴湾内で謎の爆沈をし、日本人乗員らも含め549人が亡くなった。舞鶴市民らが毎年追悼を続けるとともに、事件を題材とした映画「エイジアンブルー 浮島丸サコン」も作られた。集会では、野田会長が「事件から教訓を学び取り、平和の確立に向けて力を尽くしたい」と追悼の辞を述べた。今年は長年の追悼事業に感謝したいと、駐大阪大韓民国総領事名の感謝状が、金庚壽(きむきょんす)領事から野田会長へ贈呈された。また、京都朝鮮学園の生徒や在日朝鮮人の女性コーラスグループらが追悼歌を合唱し、美しい歌声が海に響いた。平海兵団にいた花崎保さん(78)=福知山市=は事件の翌日、遺体の収容作業にあたった。事件のことがずっと気になり、この日、初めて集会に参加した。「朝目が覚めたら重油の臭いが充満していて驚いた。ああしたことが2度と起こらないよう、朝鮮・韓国の人たちと手を取って仲良くしなければ」と、60年ぶりの爆沈現場の海を見つめていた。

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