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江戸時代、松尾寺までの巡礼の道 「舞鶴地方史研究会」 若狭街道を実地調査【舞鶴】

江戸時代、松尾寺までの巡礼の道 「舞鶴地方史研究会」 若狭街道を実地調査【舞鶴】

投稿日時:2004年05月14日(金)

昼なお薄暗い街道の山道を歩く会員たち

 舞鶴地方史研究会(小林清会長)は5月9日、江戸時代に西国33札所の29番の松尾寺までの巡礼の道ともなっていた若狭街道を歩き、街道筋にあった道しるべや昔の道の様子を実地調査した。明治時代に作成された地図で街道が通る倉谷などの家や橋を調べたり、一里塚があった場所などを探った。昨年の京街道ウォークに続いて、11月には市民に呼びかけて、この街道を歩く会を開催する予定だ。若狭街道は田辺城下町の田辺大橋を起点に、白鳥峠から森、浜、市場、小倉を通って吉坂まで続く道。若狭へ至る道であることから別名「北国街道」、または宮津市の28番札所の成相寺から29番の松尾寺までつなぐ道として、多くの巡礼者が行き交った。同研究会は昨年11月に京街道ウォークを開催し、約50人が参加して歩いた。事前に作成したマップをもとにして京街道と道しるべ、当時の旅や暮らしなどを歩きながら市民とともに学んだ。その続編として、今年と来年の2回にわたって、若狭街道を西地区から大森神社まで、そこから松尾寺までのコースに分けて歩く計画を立てている。この日は会員6人がマップ作成のため、西地区から白鳥街道まで徒歩と車で下調べをした。西図書館では明治六年に作成された倉谷村などの地図を見て、当時の道や家並みを確認。続いて府道(白鳥街道)を東へ進み、福来の「制札(せいさつ)」と呼ばれていた四辻と道標と思われる立石、石で組まれた常夜灯を見て回った。さらに府道沿いに残る元の街道や、白鳥トンネルの上の昼なお薄暗い山道を歩き峠を越えた。途中で会員たちは元旅籠だったらしい民家や、小浜藩へケガ人を送った往時などを話し合った。会員の栢分逸郎さん(74)=清道=は「子供のころ、街道を歩いて東へ遊びに行きましたが、人通りが少なくて寂しい道だった。よく海軍機関学校の学生たちが訓練でこの道を走っていたのを覚えています」と話していた。

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