水泳パイオニア足跡記す 舞鶴出身の菅谷初穂さん 5人の子が自費出版 五輪出場 「少女時代の舞鶴が原点」【舞鶴】
投稿日時:2014年04月15日(火)
1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックで、水泳女子日本代表主将として出場した舞鶴出身の菅谷(旧姓松澤)初穂さん(1914~2011)の足跡を伝える本が、菅谷さんの子5人の手によって自費出版された。残された日誌などを元に、舞鶴での少女時代、水泳選手、母親、70歳を過ぎ再び水泳をしたエピソードなどを、190点の写真とともに掲載している。
海軍軍人の父を持つ菅谷さんは新舞鶴尋常高等小学校(現新舞鶴小)を卒業、舞鶴高等女学校(現城北中)から転校した大阪府立市岡高等女学校(現港高校)で水泳を始めて自由形50メートル、100メートルで日本新記録を出した。日本女子水泳が初めて参加したロス五輪に18歳で自由形100メートルに出場。36年のベルリン五輪ではコーチとして参加し、金メダルを獲得した前畑秀子選手を支えた。
西宮市に住み70歳以降に再びプールに戻り、マスターズ水泳大会で世界新記録を連発した。戦争や震災を体験しながらも精一杯生き、96歳で亡くなった。新舞鶴小の後輩で舞鶴出身の版画家、田主誠さん(71)が、菅谷さんを再発見し偉業を紹介したことをきっかけに、12年に市政記念館に菅谷さんのコーナーが設けられ、また5人の子供たちに本の出版を勧め、生誕100年になる今年完成した。
タイトルは「日本女子水泳のパイオニア 菅谷初穂の歩み」(A5版、167ページ)。3部構成で、1部は残された日誌を元に田主さんの知人の編集者、石川泰子さんが舞鶴の少女時代や選手時代の活躍、子育て、マスターズへの挑戦などを執筆した。
2部は、ベルリン五輪棒高跳びメダリストで、舞鶴出身の大江季雄選手と菅谷さんが同じ年に生まれ、近所に住んでいたことを田主さんが紹介したほか、ゆかりのある人たちが寄稿。3部は5人が阪神淡路大震災で自宅が全壊した被害を乗り越えたこと、好きな歌が支えだったなど、母親との日々を回想して書いた。
長男の定彦さん(75)は「母にとっては舞鶴が原点。逃げない、めげない生き方を行動で示してくれた」、長女の典子さん(72)は「晩年はよく舞鶴へ行きたいと話し、家族で2回出掛けた」、四女の岡智子さん(64)は「分け隔てがなく、いつまでも輝いて明るい太陽のような母が大好きでした」と話す。
1000部作成し、300部を舞鶴市へ寄贈した。市は各小中学校、図書館などに置く予定。
写真=母の歩みを書いた本を出版した兄妹たち
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