東高出身、元教諭の新宮さん(府中市 ) 獨協大から70代で博士号 取得【舞鶴】
投稿日時:2009年02月03日(火)
東舞鶴高校出身で、元獨協(どっきょう)中学・高校教諭の新宮讓治さん(78)=東京都府中市=が、獨協学園草創期の歴史を捉え直した論文『獨逸(どいつ)学協会学校の研究』で、獨協大学(埼玉県草加市)からドイツ文化研究の博士号をこのほど取得した。「半世紀務めた学校の歴史を研究し博士号をいただき、とてもうれしい」と語る。現在も引き続き未公開の史料を調べ執筆活動を続ける。 新宮さんは8歳ごろ、両親の故郷の舞鶴に移り、地元の小学校・中学校を経て東高で学んだ。明治大学に進学し、学校法人獨協学園の中学・高校などで社会科教諭として勤務。2000年から同じ系列の獨協大学の歴史学の非常勤講師を務め、現在も全学総合講座「獨協学」の外来講師として教壇に立つ。 00年に「獨協学園史」が出版されたが、いつか自分の考え方で学園史を書いてみようと思っていた。そこに新史料発見の偶然が結びつく。高校在任中から戦争碑を研究しており、その史料を探していた国会図書館で、獨逸学協会学校専修科の第1回卒業生で、内務官僚の有松英義の未公開の文書などを発掘した。 獨協学園の前身である同専修科は1883(明治16)年に創設された。薩長藩閥政府のもとで手厚い保護を受け、高級官僚養成の法律学校として異彩を放つが、国会開設以後は財政援助も廃止され、学校経営の危機に陥った。そんな中、獨協後援会会長だった有松の文書からは、これまで記されていなかった危機の状況や心の揺れを知ることができ、記録を書き留めておこうと70歳から執筆を開始した。 明治の草創期から第二次大戦までの歴史を、数年がかりで原稿用紙約五百枚に完成させた。当初は論文にするだけと思っていたが、教え子の大学教員から博士号の取得を勧められた。論文審査では「『正史』と異なる視点から学園を取り巻く政治・社会的状況と関連させて、学園の創設・変遷の様相を記述したユニークな論考」と高い評価を受けた。論文は校倉書房から出版された。 新宮さんは「新しい発見がたくさんあり、面白かったので継続できた。今後は戦時中に軍部に抵抗し、戦後、中学・高校の校長を務めた天野貞祐氏の人間尊重の思想に、現代的意味を探るため光を当てたい」と話していた。
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