朝来の旧海軍第3火薬廠を調査し本に 出版した関本さんに反響の手紙届く 【舞鶴】
投稿日時:2006年03月31日(金)
昨年7月、朝来地区の旧海軍第3火薬廠の実態をまとめ出版した大波上の関本長三郎さん(62)の元に、本を読んだ元勤務者らから多くの反響の手紙が寄せられている。執筆の取材中に、概要だけしか知ることができなかった工場宿舎の厳しい生活について、具体的な体験や思いを吐露した手紙もあった。関本さんは託された手紙は貴重な記録として、こうした声を伝えるために手紙を集めた証言集を作りたいと思いを強めている。第3火薬廠は長浜にあった工場が手狭となり、移転先の旧朝来村の住民を立ち退かせ、1941年に完成した。海軍が使った半分の爆薬を製造したとの指摘があり、最大で学徒動員も含め5000人が働いた。関本さんは2年がかりで元勤務者123人に聞き取り、『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』として自費出版。800部作成し、1冊1200円で書店などで販売したが昨年12月で完売した。本を手にした元学徒や工員たちから、先月・2月までに手紙67通、ハガキ32通が寄せられた。18歳で徴用工になった京都市の男性(83)は、登尾宿舎での生活について、「長靴を夜朝鮮人バラックに持って行き、少量の大豆を交換し、宿舎でアルミの弁当箱で大切そうに布団の中で1粒ずつ口に放り込んで寝た」など便箋5枚にびっしりと綴った。長浜爆薬部に勤務した綾部市の94歳の男性は、誰にも話せなかった思いを手紙にし、「胸がスーとした」と書いた。このほかにも「私の履歴書が書いてある」との感想、火薬庫の厳重な管理、大雪での作業の様子などが記された。依頼の増えた現地案内や講演会でも手紙を紹介している。関本さんは「手紙からは、自分の体験を伝えたいという思いをひしひしと感じ、火薬廠について私は触りしか知らなかったと教えられた。皆さんが心の奥に秘めていた生の声を残したいと思いが膨らんでいます」と話していた。
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