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昭和19年6月にマリアナ沖海戦で爆沈した航空母艦「大鳳」 元乗組員ら海軍墓地で今年が最後の慰霊祭【舞鶴のニュース】

昭和19年6月にマリアナ沖海戦で爆沈した航空母艦「大鳳」 元乗組員ら海軍墓地で今年が最後の慰霊祭【舞鶴のニュース】

投稿日時:2003年06月24日(火)

 舞鶴軍港所属で最大の艦船だった航空母艦「大鳳(たいほう)」(排水量34.200トン)が昭和19年6月にマリアナ沖海戦で爆沈し、犠牲となった乗組員767人を追悼する第30回大鳳戦没者慰霊祭が6月19日、余部上の海軍墓地の慰霊碑前で営まれた。生き残った元乗組員たちが世話役を務めてきたが、全員が80歳前後と高齢のため、今年が最後の慰霊祭となった。石川や新潟などから約160人が集まった。
 大鳳は全長260.6トル。搭載飛行機数は61機、乗員は1751人。当時の日本海軍の航空母艦として、飛行甲板に初めて装甲を使用した。昭和19年3月に完成し、舞鶴軍港を母港とした。
 同年に連合艦隊主力の第1機動艦隊に編入され、6月19日にマリアナ沖海戦で、米国の潜水艦の魚雷が船に命中し爆沈した。乗組員のうち半数近くの767人が亡くなった。昭和49年9月に元乗組員や遺族らが慰霊碑を建立、「航空母艦大鳳戦没者之碑奉賛会」(木村清光会長)を結成し、慰霊祭を毎年6月19日に続けてきた。
 最後の慰霊祭では多くの元乗組員らが出席、慰霊碑の前で犠牲者のめい福を祈った。父を亡くした岩田次雄さん(60)=富山県小矢部=は「地元の生存者の皆さんに毎年開催のお世話になり感謝しています」と遺族を代表してあいさつした。元乗組員で世話人の1人、安倍安太郎さん(82)=余部下=は「いまはほっとした気持ちとまだ続けたい気持ちもある」と話していた。
 今後は海軍墓地に祭られている全ての戦没者の慰霊祭を、舞鶴水交社が近くの雲門寺で行う。

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