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昭和10年前後の尋常高等小学校の様子 元教師の寺泉さんの遺族、写真90点中舞鶴小へ【舞鶴】

昭和10年前後の尋常高等小学校の様子 元教師の寺泉さんの遺族、写真90点中舞鶴小へ【舞鶴】

投稿日時:2007年06月26日(火)

 昭和10(1935)年前後の尋常高等小学校時代の学校の様子を記録した写真約90点が、このほど余部上の中舞鶴小学校(荻野隆三校長)に寄贈された。中舞鶴地区出身で同校の教師を務めた寺泉信二さんが大切に保管していたもので、昭和7年に完成した運動場や当時活躍した陸上部などの写真が含まれている。寺泉さんは今年1月に97歳で亡くなり、遺族が贈った。  同校の卒業生でもある寺泉さんは、同4年に初赴任地として同校で教壇に立ち、15年までいた。その後、24年~32年には教頭として在籍、41年、福井小学校の校長を最後に退職した。教師生活の約半分を中舞小で過ごしただけでなく、亡くなる2年前まで生まれた中舞鶴に住んでいた。  次男の佑一さん=天台新町=が遺品を整理し、写真アルバムを見つけた。残された写真の多くは昭和10年前後の中舞鶴小時代のもので、役立ててもらえればと寄贈した。明治9(1876)年創立の同校は今年131年を迎えるが、戦前の写真はあまり保管されておらず、今回初めてみる写真も寄せられた。  現在の校舎の位置に昔は運動場があったが、山を削ってこの運動場が完成した昭和7年夏、男子879人と女子818人の全児童が運動場に集まっての記念写真、続いて同年10月の地鎮祭、同九年の運動会の様子が撮影されている。  当時の中舞小は全国少年野球大会に出場したり、陸上部も各大会で優勝するなどし、また寺泉さんも体育の指導に熱心だったことから、海軍記念日の小学校連合運動会で優勝した際の写真、野球部や陸上部の優勝記念の写真もあった。荻野校長は「いただいた写真は、児童たちが郷土の歴史や学校の昔を学ぶことなどに活用していきたい」と話していた。

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