明治期に創作 市民が口ずさめる歌を 父の遺志継ぐ「舞鶴唱歌」 マイヅル竹田謄写堂 坂本さん親子が復刻【舞鶴】
投稿日時:2014年01月31日(金)
新の印刷会社、マイヅル竹田謄写堂会長の坂本清幸さん(81)と次男で同社社長の清樹さん(44)が、清幸さんの父親が1912(明治45)年に自費出版した「舞鶴唱歌と舞鶴軍港唱歌」の復刻版を昨年完成させ、約100年ぶりに復活させた。旧漢字表記の唱歌の歌詞、楽譜、当時の店の広告を掲載した本で、京口の旅館「霞月(かげつ)」など広告掲載の現存する約10店に配布した。1000部製作し、同謄写堂で無料配布している。
「舞鶴唱歌」は舞鶴(主に現在の西地区)を歌った唱歌で、坂本さんと同名の父親、清幸氏(昭和17年没、享年53)が1911(明治44)年から創作。「市民が口ずさめる舞鶴の歌を」と、小学生の頃から思いを馳せ、20代で当時の風情や人々の生活の様子、地名などを歌詞に盛り込んだ唱歌を完成させた。
故清幸氏は、菓子の製造・販売を手掛け、全国に飴を売り歩き、立ち寄った土地で俳句を書く歌人でもあった。「新舞鶴唱歌」、「余部唱歌」(大正2年刊行)も創作し、3部作とした。刊行当時、子どもたちに口ずさんでもらおうと、母校である現在の明倫小に配布している。歌詞は5番まであり、曲は音楽新音譜第2集「秋の景色」から取ったとされている。
現在この唱歌を歌えるのは、ほぼ坂本さん家族だけであるため、「父親の残した唱歌を舞鶴の近代史の資料として保存したい」という清幸さんの思いを継ぎ、清樹さんが後世に残そうと、2001年に復刻版製作を計画した。
清樹さんは昨年、明倫小で3年生の総合学習の時間に「舞鶴唱歌」を題材に授業を行った。親しみやすい曲調と、「瑞光寺出で、字寺内、左に松陰、右に新」などの地名が出てくる唱歌を、児童たちは楽しそうに歌ったという。
広告は、竹屋や平野屋の店を中心に、多くの現存しない店舗を約60ページ掲載。「加佐郡舞鶴町」の住所表記や、京都銀行の母体となった「高木銀行舞鶴支店」の広告など、明治期の舞鶴の街並みを文字で感じることができる。
清樹さんは「吹奏楽などの演奏で子どもたちに歌ってもらい、この歌を残していければうれしい」と話している。今後は図書館や小学校などへの配布も予定している。動画サイト「YouTube」で清幸さんが歌っている映像を見ることもできる。
【問い合わせ】電話0120・75・2367、マイヅル竹田謄写堂
写真左=完成した復刻版と坂本会長
写真中=「舞鶴唱歌」の歌詞の一節
写真右=掲載されている明治期の店の広告
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