日本初の理科教科書作る 田辺藩の片山氏、明治5年「物理階梯」【舞鶴】
投稿日時:2016年01月06日(水)
田辺藩出身で文部省に勤めた片山淳吉(1837~87年)が、明治期に日本で初めての理科教科書といわれる「物理階梯」を翻訳・編纂した。この教科書を自宅で保管していた百田孝男さん(52)=京口=が、このほど引土の西舞鶴高校を訪れ、理数探求科1、2年生約80人に、郷土の先輩の業績を紹介した。片山氏は牧野家家臣の子として松陰で生まれ、藩命を受けて江戸に出て慶応義塾などで学び、教員も務めた。文部省に入りアメリカの物理入門書を翻訳・編集、3巻本「物理階梯」の書名で1872(明治5)年、小学校高学年用の理科教科書として出版した。この本によって「物理」の名称が定着した。このほか国語や自然科学分野の教科書も執筆している。百田さんの曽祖父の兄である重明氏が片山氏とともに、1881(明治14)年に教科書「小学校物理講義」を出版した縁があり、片山家から預かった荷物の中に教科書や写真などが入っていた。西高に持参した教科書を手に百田さんは「明治時代に舞鶴出身の偉人がいたことに誇りを持ち、世界に羽ばたく人材になってください」と生徒たちに語った。また、土手敏通副校長が現在では中学校や高校の化学で習う電池の仕組みなど、教科書に書かれている内容を生徒たちに紹介した。同科1年の山﨑映奈(あきな)さん(16)は「こんな人が舞鶴にいたなんて知りませんでした。これから物理を学んでいくのが楽しみです」と話していた。教科書はしばらく西高に貸し出され、展示などをする予定。
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