戦争、空襲子供たちに語り継ぐ 体験記編さん委員会 小・中学校、地域に出向いて 悲しさと恐ろしさ知って【舞鶴】
投稿日時:2012年09月04日(火)
舞鶴空襲の体験記録を作成した「戦争・空襲メッセージ編さん委員会」(蒲田忠夫・呼びかけ人代表)が、戦争を語り継ぐ活動を開始した。その第1回としてメンバー2人が、このほど吉原小学校を訪れ、児童たちに空襲や戦争中の学校の様子などを語った。同会は今後も小・中学校や地域で舞鶴であった戦争を伝える活動を続ける。 米国の原爆模擬弾が1945年7月29日に舞鶴海軍工廠に投下され、翌日は艦上機による攻撃を受け、動員学徒や工員ら184人が犠牲となった。元学徒や市民たちの座談会や手記をまとめた体験記録が7月に発行され、多くの反響を呼んでいる。さらに体験を子供たちに語り伝えるため、次なる活動をスタートさせた。 最初に呼びかけ人の1人で、市老人連合会会長の増山寛一さん(83)の地元の吉原小を訪れた。全校児童57人を前に、戦時中は吉原小グラウンドを耕しサツマイモを作ったこと、地域の若い人は戦地に行き、お年寄りが子供たちに竹やりの使い方を教えていたことなど、「お国のために命を投げ捨てる教育を受けた」と説明。 また、倉谷にあった第二造兵部で特攻兵器「回天」の製図を写す作業をした体験を踏まえ、「生きて帰ってこれない兵器の図面を書き悲しかった。戦争は絶対にしてはいけない」と述べた。 同会事務局長の関本長三郎さん(68)=大波上=が、「舞鶴空襲では働かされていた中・高校生たちが、亡くなった友達の遺体を自分たちで焼いたりと、考えられないことが67年前に起こった。舞鶴が狙われたのは軍事基地があり軍艦などを作る工場があったためだった」と語った。 6年生の山田風由音さんは「空襲はすごくこわいことだと思った。二度と戦争がないようになればいい」と話していた。
写真=吉原小の児童たちに戦争体験を語る増山さん
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