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布川家(余部下)が資料3619点を市に寄贈 12月4~6日「中舞鶴の歴史展」で公開【舞鶴】

布川家(余部下)が資料3619点を市に寄贈 12月4~6日「中舞鶴の歴史展」で公開【舞鶴】

投稿日時:2004年12月03日(金)

展示される吉田鋤牛の屏風

 余部下の布川和子さん(55)が、江戸時代から庄屋を務めてきた布川家に伝わる書画や民具、文書など3619点を市に寄贈した。それに合わせて市民でつくる実行委員会が、主な寄贈品を展示する「中舞鶴の歴史展」を、12月4~6日、余部下の中総合会館で開催する。布川家資料とともに同地区の古地図や写真なども並べ、海軍と関わり発展した歴史を振り返る。4日は基調講演がある。余部下村の庄屋だった布川半兵衛(後に範兵衛)は、明治22年に海軍の第4鎮守府の開設が余部下に決まって以後は、地元代表として奔走した。その跡を継いだ徳蔵は中舞鶴町議員や府議会議員を務め、芸術分野にも造詣が深かった。今回寄贈された多くの書画は、この2人が収集したものとされる。寄贈の機会に中舞鶴の歴史を知ってもらおうと、同地区の市民や各団体で準備に取り組んできた。舞鶴地方史研究会が資料整理や目録作成で協力。布川家収蔵品の中から屏風などの絵画や書、膳や碗などの民具などを展示する。絵画では京狩野派3代目の狩野永納(1631~97年)による12画面の花鳥図押絵貼屏風、明治画壇で活躍し日展委員を務めた吉田鋤牛(ちょぎゅう)の二曲屏風もある。文書関係では、幕末の禁門の変に派遣された動員記録や費用の取り決めなどを記した「軍役人夫並諸入用割覚帳」、鎮守府開設に関わった調査人や必要資材の記録「鎮守府御用宿帳」「鎮守府御用日誌」などが含まれている。実行委員会事務局で文書を整理した同研究会の小林清さんは「数千点の文書の詳しい検討はこれからだが、幕末から明治期の地方の動きを生々しく伝える貴重な資料だ」と話していた。3日間とも午前9時~午後5時。入場無料。4日の基調講演は、京都工芸繊維大学教授の日向進さんが「布川家と中舞鶴の近代を彩る住宅」(午後1時半~)、同大学教授の並木誠士さんが「布川コレクション―狩野永納筆花鳥図屏風を中心に―」(同3時~)と題して話す。

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