子育ての新常識へ
「産後ケア」で母親の心と身体を健やかに
市内唯一の産後指導士
坂野さん ゼロからの挑戦
投稿日時:2022年07月22日(金)
子どもや子育て世代への支援強化などを訴える声が全国各地で多く聞かれる一方、産後うつ状態に陥る母親を取り巻く問題を耳にすることは少ない。しかし実際に、出産を終えた多くの母親が苦しみ、絶望し、命を落とすことさえあるのは紛れもない事実だ。そうした悲劇を生まないために必要なのは、健康に生きるための身体と心のケア。「赤ちゃんの世話について知る機会は多くても、産後の母親の身体に起こることは誰も教えてはくれない」と話すのは、自身も産後うつの状態に陥った経験を持つ産後指導士の坂野(ばんの)智美さん(34)=写真=。言葉にならない不安な日々を過ごしながらも、学びによって救われた経験を持つ坂野さんは、「産後ケア」の必要性を強く訴え、舞鶴で新たに広めようと活動を始めた。「母親には心からの幸せを感じる中で、真に健やかな子育てをしてほしいと願っています」という坂野さんの挑戦を取材した。
「子育てに必要なのは、まず体力」。産後指導士として『産後ケア』を広める坂野さんは力強く口にする。
また「産後の身体は、大きな交通事故に遭った時と同じくらいのダメージを受けると言われています。筋肉は落ち体力も失われているのに、そこから24時間休みなしの赤ちゃんのお世話が始まる」と続ける。
たとえ自分の身体がボロボロでも、「お母さんなんだから」と頑張ってしまう。まさに坂野さんがそうだった。手を抜けない真面目な性格に自分のことなんて後回し、完璧にやりこなさないと「お母さんなんだから」と頑張って走り続け、そして張り詰めた糸は、プツリと切れた。産後うつ状態に陥り心身の不調は続き、精神安定剤を服用するまでに。
夫の転勤で金沢市に移り住んだ産後8ヶ月の頃だった。それまで定時には帰り、育児のサポートも存分にしてくれていた夫だったが、産婦人科医として新天地で働く日々は多忙を極めた。右も左も分からない土地で、友人も頼る人もいない孤独に、初めての育児は坂野さんの心に重くのしかかった。「誰も助けてくれない。夫にも捨てられたんだ」勝手にそんな風に思い込み爆発する被害者意識の中、「このままこの子と消えてしまおうか」と『死』の文字が頭をよぎったほどだった。
【『ママの力に』その思いが原動力】
そして産後1年半を迎えた頃、たまたま近くの公民館であったバランスボール教室に参加した。ボールに座って弾むだけの動きに、心が弾んだ。ぽわんぽわんと弾むことに「楽しい」と感じることができた。もともとリハビリの道具として作られたバランスボール。産後のからだに負担のないバランスボールでの運動は心地良かった。また、『産後ケア』にも出会った。産後ケアを知る中で、体調不良や精神が不安定になるのは、ホルモンバランスの乱れなどが原因であると学んだ。
こうしてバランスボールと産後ケアに出会えたことで、坂野さんは救われた。心身の不調も改善し、薬なしでも生活を送れるように。質の良い有酸素運動を通して、生命活動の基礎となるエネルギーを生産することで、健康に生きるための身体と心の土台を構築。母親であることの喜びや生きることの楽しさを感じ、未来への希望を持ちながら生活できるようになった。
さらに学びを深める中で、「同じように苦しむママの力になりたい」その思いが原動力となり、産後ケアの専門家「産後指導士」の道へと進んだ。
こうして2018年から産後ケア普及啓発活動に努め、金沢市では必要な人に支援が届くよう行政に働きかけるなど抜群の行動力を発揮。看護師や保健師の知識、自身の産後の経験を活かしながら、これまで500人の産後女性ケアに携わってきた。そして自分と同じように悩むママたちと出会う度に、産後ケアの必要性をより一層感じるようになった坂野さん。
【“産後ケア”当たり前の世の中に】
夫は昨春、単身赴任で一足先に舞鶴へ。坂野さんはまだやり残したことがあると長男と二人金沢市に残った。しかし、離ればなれの生活を送る中で、やはり夫であり父親である存在は大きくなった。「3人で暮らしたい」こうして本格的に舞鶴を活動拠点と永住の地と定め、移住してきたのは今年の4月のことだ。舞鶴市には、まだ産後指導士が一人もいない。まずは『産後ケア』を知ってもらうことから始める必要があった。
「産後はただでさえ孤独との戦い。ゆっくりしているヒマはない」そんな思いですぐに行動を起こした。まずは子育てサークルを立ち上げる形で6月中頃、中総合会館4階で「ママの笑顔がいちばん」と題した初めてのグループワークを行い産後ケアにふれた。
新たな土地で踏み出した一歩。「運動することで、産後うつは防ぐことができるんです」と坂野さんは力を込める。
現在の日本では産後の女性を公的にサポートするシステムはまだ確立されていない。子どもを健やかに育てるには、お母さんやパートナーである家族が健やかで元気であることが大切。産後うつなどで失われる命がゼロになることを祈って坂野さんは、乳幼児検診と同じように当たり前に、母親が『産後ケア』を受けられる社会を目指している。
かつての自分がそうだったように、「きっと泣き止まない赤ちゃんを抱っこして一緒に泣いているお母さんがいる。虐待しそうな位に追い詰められているお母さんがいる」当時の自分と重ね合わせる中で、自身が救われた『産後ケア』を広めたい。知ってほしい。そんな思いは強くなるばかりだ。
当地ではまだ馴染みのない「産後ケア」だが、確かな一歩は力強く踏み出された。
坂野さんの取組みがいずれ新たな常識と認知されたとき、本市は真に「子育て世代が住みたいまち舞鶴」にふさわしいまちになるのではないか。そうした未来の到来を夢見て、動き出した活動を見守っていきたい。
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