太平洋戦争中、舞鶴海軍工厰の知られざる技術史 舞鶴高専・岡本教授がコンクリート船研究論文に 【舞鶴】
投稿日時:2009年10月02日(金)
舞鶴高専建設システム工学科の岡本寛昭教授(62)が、太平洋戦争中に鋼材不足を補うため、舞鶴海軍工厰で開発されたコンクリート船の建造経過や構造などを研究しまとめた。戦後は呉市の漁港で防波堤に転用され、いまも目立った劣化もなく利用されていることもわかり、同工厰の知られざる技術史と舞鶴発祥の近代化遺産に光を当てた。10月23日、鹿児島大学で開かれるセメント・コンクリート研究討論会で発表する。コンクリート船は第一次世界大戦にヨーロッパで、第二次大戦は米国でも採用された。日本では舞鶴海軍工厰で開発されたことが以前から知られていたが、まとまった研究がなく、コンクリート工学を専門とする岡本教授が調査を進め初めて論文にした。海軍省は1941年、エンジンを持たないコンクリート製油槽船の開発を同工厰に命じ、林邦雄技術中佐が中心となり、試作などを経て設計に着手。同工厰は鋼船専用造船所だったため、兵庫県曽根町(現・高砂市)に民間造船所を新設、派遣された水嶋実技手が指揮し、43~44年に4隻(長さ58メートル、幅8.5メートル、高さ6.5メートル)を完成させた。続いて800総トンの石炭輸送を目的に、自走式貨物船4隻(長さ60メートル、幅10メートル、高さ6メートル)を作った。セメントと砂を手で練り込み、型枠内に打ち込み成型する鉄筋コンクリート方式で造られ、厚さは11~20センチ。建造の計10隻は近海輸送に利用されたが、鋼船に比べて重く、油槽船は満載時に船体が海中に没し、速度が遅いなど利用が敬遠されるようになった。終戦直後、座礁沈没したものもあるが、石油補給タンクや瀬戸内海で物資輸送に活用され、50年には貨物船2隻が呉市の安浦漁港で防波堤に転用された。その船の実地調査を実施したところ、65年経過したいまも十分な強度を保ち、大きな劣化も進んでいないことが明らかになった。同漁港には舞鶴海軍工厰で開発されたとの説明看板が立つ。岡本教授は「短期間に開発・実用化し、いまも強度をもつ当時の技術力は大変なもの。舞鶴海軍工厰を戦争の視点ばかりではなく、ここで生まれたすぐれた技術を産業遺産として後世に伝えたい」と話している。
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