大浦半島の赤野神子谷に 支配者の存在示す中世集団墓 【舞鶴のニュース】
投稿日時:2002年12月13日(金)
舞鶴地方史研究会(小林清会長)は、大浦半島の赤野神子谷の竹林にある中世時代の集団墓について、神戸市の摂陽文化財調査研究所の古川久雄さん(49)を招き、このほど調査をした。12年前に平の郷土史家の真下克己さん(78)がその存在を明らかにしたが、古川さんの調べで14世紀末から16世紀末までにできたもので、この谷を支配していた土豪の存在を示す遺跡と分かった。真下さんは文書にも記録されている赤野氏一族の墓と推測している。
真下さんは平成2年、集団墓の存在を明らかにし、調査結果を同研究会の会報に発表した。凝灰(ぎょうかい)岩の板碑や五輪塔、自然石などの計59基が無秩序に転がっていたり、一部は原型を残して建っていた。この内、2基については室町時代の「文明七年(1475)」の銘文が刻まれていたが、だれの墓か手掛かりはなかった。
古川さんは高浜町の日引石に詳しく、舞鶴市内の石造物の調査にも何度も訪れているが、今回初めて赤野の現地を見て回った。文字が彫ってないことなどから中世のころのものと指摘。近世以降に墓として使わなかったためこの集団墓が残ったとし、現状のまま保存することをアドバイスした。
大正3年に村の歴史を書いた「西大浦村沿革及び記事」には、赤野氏の記述がある。永仁2年(1294)から永正13年(1516)にかけて大浦全域を支配した。真下さんは赤野氏に関する文明年間の文書の存在や、赤野氏の墓地に中世にさかのぼる墓がないことなどから、この集団墓が赤野氏一族のものと考えた。「中世墓の発見で西大浦村の文書が現実的なものとなった」と話していた。
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