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多禰寺の大般若経を研究、8年がかりの労作 郷土史家・真下さんが調査報告書の後編を出版【舞鶴のニュース】

多禰寺の大般若経を研究、8年がかりの労作 郷土史家・真下さんが調査報告書の後編を出版【舞鶴のニュース】

投稿日時:2002年06月11日(火)

 多祢寺文化財保存会代表の郷土史家、真下克己さん(77)=舞鶴市平=が、多禰寺に残る大般若経の研究を終え、このほど調査報告書の後編を出版した。完成間近になって脳梗塞などで入院をよぎなくされ、最後の校正などを知人に託し、ベッドで完成した本を手にした。調査開始から8年がかりの労作で、丹波地方の寺院との関係や荘園社会の様子を知る手掛かりを明らかにした。
 大般若経は600巻からなる仏教最大の教典。飛鳥時代(6世紀)に開かれたという多禰寺にも、主に丹波地方において平安から室町時代に書き写されて、その後同寺に伝わったとされる大般若経があり、正月に五穀豊穣などを祈願して読まれていた。真下さんは平成6年から同寺の大般若経の研究を始めた。それ以前には河辺中の八幡神社の大般若経の調査にも関わった。5年前にまとめた調査報告書の前編では、各巻の紙質や書風などを記録し、平安時代に書写されたと思われた数巻の中から奈良時代のものが1巻見つかったこと、紙の裏側に中世真言密教の葬送儀礼が書かれていたことを発表した。
 後編はB5判で57ページ。各巻の大きさや裏書きの引導作法などを漢文に直して記した。また、教典のいくつかが篠山市にあった常楽寺などで書き写され、綾部市の正暦寺などを経てもたらされたことなどを書いた。さらに地方史研究家の2人が寄稿した。
 昨年12月、脳梗塞で半身まひとなり病院に入院。退院後は右手だけでワープロを打ったが体の不調で再度入院し、最後の校正などを友人で寄稿もした市文化財保護委員の加藤晃さんに託した。加藤さんから完成した後編を手渡されると、真下さんは感無量で涙を流し喜んだ。
 真下さんは「八幡神社のものは若狭のルートで、多禰寺のものは京都のルートで伝わり、同じ大浦でも文化の道が異なることは興味深い。結末をつけていただいた加藤さんには感謝しています」と話していた。300部作成。1部1500円で販売。
【問い合わせ】電話75・2177、モトキ印刷。

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