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古(いにしえ)の栄華に思いはせ 松尾寺 発掘調査で大きな成果

古(いにしえ)の栄華に思いはせ 松尾寺 発掘調査で大きな成果

投稿日時:2021年01月26日(火)

 今につながる信仰の歴史 歴史の全容解明に期待松尾寺の仁王門解体修理に伴う発掘調査で、平安時代後期の整地跡や建物の基壇跡などが確認された。かつては4千石の寺領を有し、寺坊は65を数えたと伝わる同寺。今回の発見により鳥羽天皇が七堂伽藍を寄進したとされる伝承の裏付けに近づく可能性もあり、今後の調査研究の進展による歴史の全容解明が期待される。

 市文化振興課による今回の調査は、2020年12月3日~2021年1月15日に行われた。仁王門の建っていた約60㎡の調査個所から、様々な遺構や遺物が確認された。西国三十三カ所二十九番札所として発展する同寺は、和銅元(708)年に開山したとされている。寺伝によると、鳥羽天皇、美福門院の崇敬が厚く、伽藍および15の坊舎を再建したとされている。市指定文化財に指定されている同寺所蔵の「松尾寺参詣曼荼羅」(室町時代)=写真①=では、威容を誇る境内の様子が記録されているが、これまでは往時の寺の様子につながる物証はなく、山門や本堂の存在も伝承の域を超えるものではなかった。同寺の発掘調査は今回が初めてで、現仁王門の前身の門の存在や、古代や中世に遡る境内の様子を知る手かがりを求める目的として実施されたが、その結果、出土した遺物は約550点、遺構も多数検出されるなど、大きな成果を上げた。

【仁王門建立の地鎮祭で実際に金貨銀貨を埋納】

 今回の調査地点からは、平安時代初頭(9世紀)の整地跡が見つかった。山門の遺構と断定できるものではないが、同寺の創建年代を考える上では非常に重要な発見となった。また、平安時代後期にかけて建物基壇が造成されるなど、境内の整備が行われてことも分かった。調査地点は「松尾寺参詣曼荼羅」下部の山門がある場所に該当する。見つかった基壇跡は改修されながら中世以降も引き継がれ、江戸時代前期頃まで機能していたことも分かり、歴代の山門がこの一に建てられていた可能性に近づく結果となった。また鎌倉時代から江戸時代前期にかけて、参道跡と考えられる精緻な整地が少なくとも4回以上繰り返されていることも分かった。こうした発見を通じて市は、「とりわけ中世以降に盛んになった西国三十三カ所巡礼の隆盛や、歴代領主の帰依を受けて発展した様子が、整備の頻度からもうかがえる」としている。一方、現在の仁王門の前身とみられる旧仁王門の遺構も確認された。これは地鎮祭の痕跡と見られる遺物(土師皿2枚、寛永通宝12枚、元禄二朱判金、元禄豆板銀)=写真③④=の出土から、旧仁王門の建立に伴う地鎮行為と判断したもの。この時埋納された二朱判金は、元禄10(1697)年に鋳造が開始されたもので、旧仁王門はそれ以降の建立になると考えられる。このことから、旧仁王門は現仁王門の建立年である明和4(1767)年までの比較的短期間だけ存続していたことが分かった。今回のように意味のある形で金銀貨が出土することは府下では類を見ないことだという。市は、「同寺が当地での信仰の拠りどころとして大きな存在であったことを示す発見」だとし、今後の調査研究進展に向けて意欲を見せている。今回の発掘調査について市は、新型コロナウイルス感染症防止のため、現地説明会は開催しないとしている。資料は郷土資料館で配布する他、写真と説明資料は市ホームページで掲載する。

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