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写真で神崎ホフマン窯の煉瓦づくり風景など 4月2日まで「府立丹後郷土資料館(宮津市)」【舞鶴】

写真で神崎ホフマン窯の煉瓦づくり風景など 4月2日まで「府立丹後郷土資料館(宮津市)」【舞鶴】

投稿日時:2006年03月10日(金)

 舞鶴市文化財保護委員などを務め、2002年に90歳で亡くなった宮津市喜多の郷土史家、中嶋利雄さんが撮影した膨大な写真フィルムの中から、昭和30年代の白黒写真を展示した企画展が、宮津市国分の府立丹後郷土資料館で開かれている。その中には、国登録有形文化財の神崎ホフマン窯(西神崎)で、人が煉瓦を製造したり運搬する風景を撮影した同31年ごろの写真が並ぶ。工場内の作業の様子を伝える写真は今回が初めての公開で、貴重な記録となっている。由良川中学校などに勤務した中嶋さんは、舞鶴市史専門委員として市史通史編(上)で中世の執筆を担当、被差別部落の歴史を解きあかした。宮津市文化財保護審議会会長も務め、丹後の中世から近代にかけ、雪舟天橋立図などを研究した。その傍ら写真撮影にも力を入れ、1954年から丹後の生活や祭りなどにカメラを向け、70年以降は文書などの撮影に関心が移った。膨大なフィルムが残されたが、家族から寄贈を受けた同館が、その中から丹後の風景や暮らしなどに絞って、「中嶋利雄の見た丹後」を企画、A3サイズなど106点を展示した。神崎ホフマン窯に関するものは4点。3人の女性が生乾きの煉瓦の面取りをし、その後方には積み上げられた煉瓦にこもが被せられる。さらに、工場内に荷物を運搬するために敷かれたレールの上の台車を引っ張る風景、瓦を積んだリヤカーを押す青年の姿も写る。撮影は五六年ごろで、煉瓦製造を中止した58年の直前の様子が分かる。1897年に登り窯として建設され、大正末期にホフマン式輪窯(りんよう)に改造し、製造された煉瓦は旧海軍鎮守府の施設建設に使われた。高さ約24メートルの主煙突などを備える。赤煉瓦の町・舞鶴のシンボル的存在となるが、小型煙突は半数以上が半倒壊し、主煙突にもひびが入る。現在は舞鶴文化教育財団の理事が所有する。窯の保存運動に取り組むNPO法人・赤煉瓦倶楽部舞鶴の松井功理事長は「過去にはあまり写真の調査は行われておらず、今回のように人が作業したり、運搬用レールや建物などの具体的な姿を伝える写真は初めてで、窯の歴史を知る上で貴重な記録になる」と話していた。
 企画展では「暮らし」「学校」「台風・豪雪」など10テーマで、写真が現像風景のように吊り下げられる。伊根の青島を背景に船から海に飛び込む子供、59年の伊勢湾台風による由良川洪水で、家の屋根に登る子供などを捉えている。舞鶴の風景では、吉原入江を木造小型和船(トモブト)を櫂で漕いだり、由良川中でのフォークダンスをする生徒の一コマがある。同館資料課長の井之本泰さんは「カットごとに何を表現したいのか狙いが明確。単に懐かしいというのでなく、いろんな問題をはらんでいた昭和30年代の暮らしのひだを、中嶋さんの目を借りて見てもらえれば」と話していた。寄贈フィルムはいまも整理中で、今後シリーズを企画する。4月2日まで。午前9時~午後4時半。大人200円。月曜休み。

【問い合わせ】電話0772・27・0230、同館。

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