再会へ決意あらた~故郷への凱旋がコロナ影響で延期
投稿日時:2020年05月12日(火)
今月24日に開催予定だった「山本和恵デビュー20周年コンサート」が、新型コロナウイルス感染症の影響で延期となった。山本さんの節目を記念する曲を作曲したのは、舞鶴出身の作曲家・井上慎之介さん。今回、10数年以上ぶりとなる帰鶴は叶わなかったが、井上さんから公演に向けた意欲を綴る便りが届いた。
1947年に中舞鶴で生れた井上さん。中舞鶴小、和田中と進み、福知山商業高卒業後に歌手を目指して上京した。
当初はグループサウンズを結成して歌手活動に励んでいたが、やがて興味の方向は作曲へと移った。独学で始めた作曲だったが家にはピアノがなく、段ボールで鍵盤を作るなど工夫と努力を重ねたという。「いつかは有名歌手に楽曲を提供できる作曲家に」と精進を重ね、1989年頃から本格的に作曲活動を始めた。「迷い旅(唄・山川豊)」がデビュー曲となった井上さんは、次々と名曲を発表。1989年発表の「恋のプラットホーム(唄・長山洋子)」にはカラオケ映像にも出演するなど、作曲家としての足場を固めていった。2011年には、「第4回日本作曲家協会音楽祭」でソングコンテストグランプリを獲得。受賞曲の「三年たったらここで(唄・浅田あつこ)」を評して井上さんは、「メロディーラインで自分らしさが出せた曲」とし、「肩の凝らない演歌の匂いのする歌謡曲」と曲への愛着をにじませる。以降も、「雪哭き津軽(唄・清水まり子)」などヒット曲を世に出した井上さんだが、山本和恵さんとの出会いはまさに僥倖と言えるものだった。東京・亀戸のカラオケ喫茶で出会った二人は、「舞鶴出身」で意気投合。その縁で楽曲を提供した井上さんは、記念コンサートで山本さんとデュエットするために帰郷する予定となっていた。
【ふるさとへの想い 曲に込めて】
上京後に家族が京都市内に移ったことで、井上さんは帰鶴の機会を得られず月日が過ぎていった。独り下積み生活を過ごす頃、胸に去来するのは望郷の想い。「あの山は、あの川は、友と遊んだあの広場は」と故郷の風景を脳裏に映し、そのたび胸を痛めた。そうして日々が過ぎ、井上さんが再び故郷の土を踏んだのは1994年。実に28年ぶりの帰郷で、「もう会えない人」と思っていた友人たちとの再会は、その後の創作活動の励みにもなった。作曲活動が順調に推移する中、多忙な日々を送る井上さんにとって、ふるさと舞鶴は遠い地だ。もうすでに10数年は故郷の地を踏んでいなかっただけに、「待っていてくれた幼馴染や同級生との再会は一年先になり、本当に残念でなりません」と井上さんは悔しさをにじませつつ、「近い将来に、私の作曲と山本さんの作詞で『赤レンガの街 舞鶴』というような歌を完成させることが夢。本当に先が見えないコロナウイルスですが、私の大事な故郷・舞鶴からは現在、感染者が出ていないとのこと。このまま終息まで感染者ゼロが続きますように心から祈っています」とふるさとにエールを送った。
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