亡き夫偲びアロハ桜と再会へ 贈り主・高木さんの妻、ハワイから来鶴【舞鶴】
投稿日時:2005年04月01日(金)
終戦後、米軍の日系2世部隊員として舞鶴に駐在し、平和と復興を願って桜の苗木を舞鶴に贈った故高木藤雄さんの妻、弥生さん(77)が、在住するハワイから来鶴することになった。4月8日~同10日の滞在期間中に余部上の共楽公園を訪れ、いまでは日米友好のシンボルとして知られるアロハ桜に11年ぶりに再会する。戦後60年の今年、亡き藤雄さんを偲ぶとともに、当時植樹に協力してくれた市民にもお礼を述べたいとしている。アロハ桜に関する思い出の写真なども探している。ハワイで生まれ育った高木さんは、1947年(昭和22年)に舞鶴に進駐。GHQ直轄のCIC分遣隊長として、シベリアなどからの引揚者を対象に情報収集活動に務めた。また、山口県に住む両親の元を何度も訪れた。こうした中、戦後の荒廃の中で疲れ切った市民を励ましたいと、桜を贈ることを決め自費で苗木を購入した。49年11月、急な転勤で舞鶴を離れる前日に、東舞鶴駅に到着した貨車に積み込まれたソメイヨシノの苗木百本を確認した。植樹を手配する時間がなく、駅で出会った日系2世の兵士らに植樹を依頼。この兵士らを中心に協力者が増え、共楽公園に70本が植えられ、残りの30本は近くの学校に配られた。公園には36本が育ち、アロハ桜として親しまれるようになり、その後も市民らが公園に植樹を続け桜の名所になった。しかし、高木さんの名は引き継がれず、長い間本当の贈り主は分からずじまいだった。10数年前に舞鶴の海上自衛隊の艦隊がハワイに寄港した際、艦隊司令がハワイ市民にアロハ桜の贈り主探しを願い出て、数年後にハワイに住む高木さんにたどり着いた。高木さんは日系人向けの新聞で桜のことを知り、元気なうちに桜を見ようと94年4月に妻と娘とともに来鶴し、桜と再会した。その高木さんは昨年1月に86歳で亡くなった。舞鶴で知り合い結婚した弥生さんは夫に代わってもう1度、桜に会おうと来日を決めた。滞在中、植樹を手伝ってくれた市民や当時の和田中学校生徒にお礼を述べたいとしている。手伝ってくれた人やアロハ桜にまつわる写真や文集などを探している。連絡は舞鶴市民新聞社(電話78・2055)へ。
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