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五輪で活躍功績語りつごう 舞鶴出身 陸上の大江選手、水泳の菅谷選手 10月4日 生誕100周年記念のシンポ【舞鶴】

五輪で活躍功績語りつごう 舞鶴出身 陸上の大江選手、水泳の菅谷選手 10月4日 生誕100周年記念のシンポ【舞鶴】

投稿日時:2014年09月26日(金)

 1914年生まれの舞鶴出身で、ともにオリンピックに出場した陸上の大江季雄選手と水泳の菅谷初穂選手の生誕100周年を記念し、市民有志で結成した実行委員会が10月4日、北吸の赤れんがパーク2号棟(市政記念館)でシンポジウムを開催する。2人の功績を語り継ぐとともに、舞鶴から五輪選手を輩出する環境づくりを目指すことにしている。大江さんは開業医の次男として生まれ、小学校5年で棒高跳びに出会い、舞鶴中学(西高)では全国大会で3位に、慶応大学時代の1936年に4メートル34の日本記録を樹立した。同年のベルリン五輪で銅メダルを獲得したが、2位の西田修平さんと銀と銅メダルを半分ずつつなぎ合わせ、「友情のメダル」として知られる。舞鶴に凱旋した大江さんは浮島グラウンドで模範演技を披露し、ポールを白糸浜神社に奉納した。次回の東京オリンピックを目指したが中止となり、太平洋戦争で召集された41年、フィリピン・ルソン島で戦死し、27歳の生涯を閉じた。菅谷さんは海軍将校の長女として生まれ、舞鶴高等女学校(城北中)まで舞鶴で過ごした。転校先の大阪の女学校で水泳に出会い、50メートルと100メートル自由形で日本新記録を出した。日本女子水泳チームが初めて参加した32年のロサンゼルス五輪に18歳で主将を務め、100メートル自由形で出場した。36年のベルリン五輪にはコーチとして参加、前畑秀子の金メダル獲得に貢献した。結婚後は西宮に住み家庭に入って5人の子供たちを育て、70歳から競技に復帰し、世界マスターズ大会で世界新記録を出した。晩年はよく舞鶴を思い出し、家族で二度訪れた。2011年に96歳で亡くなった。2人はともに浜地区に家があり、数百メートルほどの近所だった。新舞鶴小学校に通い、ベルリン五輪から帰国後に2人は母校の同校に写真を贈った。最近ではアテネ五輪に陸上の山口有希さん、北京五輪に重量挙げの斎藤里香さんが入賞するなど、世界の大会で舞鶴出身者が活躍を見せている。こうした選手に続こうと、スポーツ関係者ら市民が実行委員会を組織しシンポジウムを企画。シンポは午前10時~午後0時20分。舞鶴市スポーツ協会会長の内藤行雄さんがコーディネーターを、大江さんの甥の吾郎さん、菅谷さんの長男の定彦さん、舞鶴市レスリング協会理事長で、アテネ五輪銀の伊調千春選手を指導した三村和人さん、山口選手を指導した城南中教頭の秋原栄人さんがパネラーを務める。入場無料。 【問い合わせ】電話66・1073、市教委

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