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ブリ大敷網などの変遷記録 田井漁協55年の歩みを記念誌に【舞鶴】

ブリ大敷網などの変遷記録 田井漁協55年の歩みを記念誌に【舞鶴】

投稿日時:2009年02月06日(金)

ブリ大敷網の様子を収めた写真のページ

 平成18年に舞鶴市漁業協同組合と合併した田井漁業協同組合の歴史を記録した記念誌「田井漁業55年の軌跡」(A4判、185ページ)が、このほど発刊された。ブリ大敷で知られる基幹産業の大型定置網や年度ごとの組合事業の移り変わり、組合員や女性たちが座談会で網づくりや操業の苦労、地域の将来などを語り合っている。漁業者自らが漁業で暮らす田井地区の歩みをまとめた。  若狭湾に面する田井地区では、宮崎の日高亀市氏によって発明されたブリ大敷網(大型定置網)が明治39年に導入され、一気に漁獲高が増えブリ景気に沸き、家屋の新築ブームが起きた。ピーク時には5統の網を入れていた。その後、ブリ景気は長続きしなかったが、いまも2統の網を敷設し主な産業になっている。  昭和24年に設立された田井漁業協同組合が、合併で名前が消えるのを機会に、先人の歩みを見直そうと、合併前の水上隆夫組合長と漁業者らが編集委員会を組織し記念誌の完成に取り組んだ。各年度ごとに施設改修や資源管理などの事業概要、漁獲高を掲載、大型定置網や延縄、採貝藻などの漁法を写真や図を使って解説。また、地域の年中行事も記した。  座談会のコーナーでは、集まった組合役員、漁業者、婦人会、青年団のメンバーの発言を収録している。ある年の末、赤字の決算見込みで頭を痛めていた朝、1万本もの思わぬブリの大漁でいい新年を迎えることができた思い出、海が時化た時は波の中にブリッジが突っ込み、度胸がないと操船できなかったエピソード、昔の大敷網の設置までには網の仕立てや資材運びなど、子供や女性たちも関わる多くの仕事があり、地域と漁業のつながりが深かったなどを話した。  一方、近年は若者が外に出たり、漁業以外の仕事に就く人も増え、横のつながりが希薄になっており、住民の交流を図るため秋祭りや区民運動会の開催の願いや、若者や後継者の定着のための環境整備の要望も盛り込んだ。現在、大型定置網事業は住民たちが出資する有限会社(丸山好社長)が運営。従業員23人の内、5人は元会社員や大阪市から移住したり、市内から通勤している。  58年間漁業を続け、編集委員長を務めた竹本嘉壽男さん(75)は「何らかの形で田井の漁業の歴史を残したいと思った。若い人も少しは増えてきたので、仕事を覚えてがんばってほしい」と話していた。150部発行し、関係機関や図書館などに配布した。若干部数残っている。
【問い合わせ】電話67・0704、田井支所

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