ろうあ者と手話サークルメンバーたち 感謝の想い捧げる手話劇 聴覚障害者運動先駆者 故高倉さんの半生演じる 11月10日、両丹コンクールで披露【舞鶴】
投稿日時:2013年11月08日(金)
聾学校舞鶴分校の開設や手話サークルの結成など、府北部で聴覚障害者運動の先頭に立ち、9月14日に98歳で亡くなったろうあ者の高倉正次(しょうじ)さんの半生を、舞鶴の聴覚障害者と手話サークルのメンバーたちが、11月10日に京丹後市大宮町で開かれる第35回両丹手話劇コンクールで披露する。父のような存在だった高倉さんへ、出演者たちは感謝の想いを込め演じる。
舞鶴市溝尻町出身の高倉さんは、生まれた時から耳が聞こえなかった。地域の学校には行けなかったが、9歳の時に京都市の聾学校に入学し、小・中学部と11年間学んだ。
戦後、聴覚障害者は仕事もないなど社会から取り残されている現実を変えようと、1946(昭和21)年にろうあ協会を設立。耳の不自由な子供たちの教育の場を北部につくろうと、まだまだ閉じこもりがちだった聴覚障害者に呼びかけ、自転車で走り回り署名活動をし、52(同27)年に聾学校舞鶴分校開設に大きな役割を果した。
その後も市に働きかけ手話通訳ができる職員の配置、手話教室の開講、綾部市内に聴覚障害者の福祉施設「いこいの村」の建設へ尽くした。自身も9年前に同村に移ったが、車椅子に乗り集会などに出掛け話をした。周囲から「ちゃん」と呼ばれ慕われた。
聴覚障害者協会舞鶴支部と手話サークル「つたの会」は、14年前にも高倉さんの半生を脚本にした「人として」を手話劇で演じたが、元気なうちにもう一度見てほしいと再演を決め、8月から練習を開始。しかし、高倉さんは体調を崩し訃報が届いた。一旦は上演するか悩んだが、追悼の気持ちを表そうと練習に励んだ。
大道具など総勢50人が、学校に行けなかった少年時代など常に社会から排除された孤独感や悔しさ、戦後に学校づくりに取り組む高倉さんを描く。
同協会支部長の冨永安雄さん(65)は「お元気でいてほしいと思っていただけに、亡くなられてとても残念です。高倉さんへのお礼や追悼の想いを込め演じたい」、つたの会会長の竹内由美さん(56)は「手話を学ぶ者たちは高倉さんを尊敬していました。熱い想いを胸に秘めた高倉さんの遺志を引き継いでいきたい」と話している。
写真=高倉さんの写真を手に舞台稽古をする出演者たち
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