つながりが紡ぐ温もり 年の差50歳超 心の交流
投稿日時:2018年04月20日(金)
春は別れと旅立ちの季節。人々が交差するこの時期、当地でも様々なドラマが繰り広げられたことだろう。幼子と還暦を数年後に控えた男性との出会いと別れ。その一部始終を追った。
舞鶴浄美社で廃棄物収集運搬の職について10年。野村俊雄さん(57)には、日々心がけていることがあった。「人とのふれあいを大切にする」ことだ。「集めるゴミの向こうには人がいる。日々出会う人とのコミュニケーションをおろそかにしない」と野村さんは話す。当時まだ3歳だった辻野歩(あゆむ)くんと出会ったのは、3年前の平成26年12月のことだった。師走の寒空の下、いつものようにごみの回収作業をしていると、小さな視線を感じた。先を見ると、幼い男の子が立っていた。目に飛び込んできたのは、キラキラとした好奇心。思わず、「おはよう。ごみ収集車好きか」と声をかけた。歩くんは大きく頷き、年の差50歳を超える二人の交流がはじまった。「入園当初で、毎日大泣きの連続。途方に暮れる日もありました」と歩くんの祖母は振り返る。朝早くから共働きに出る両親に代わって、歩くんの世話を引き受ける中、毎日いたたまれない思いに苛まれていたという。なかなか慣れない登園の道中は、その日から楽しいものへと変わっていった。「今日は出会えるかな」とささやかな期待を胸にしての登園。いつしか月曜日と木曜日には必ず出会えることが分かり、心待ちにするようになっていったという。歩くんはその頃から、一週間には曜日があることが分かったり、数字が読めるようになったりと、急速に成長を見せ始めた。とりわけ、野村さんの収集車の番号「35」が読めるようになったのが嬉しく、数も数えられるようになった。歩くんは、野村さんのことを「35番のおっちゃん」と呼ぶようになり、二人の交流はその彩りを増していった。「幼稚園がんばれよ」と声をかけると、「おっちゃんもゴミ取りがんばれよ」と元気な声。野村さんにとって幼子の一言は、その日一日のビタミン剤になった。私生活でも一人の孫を持つおじいちゃん。それでも、歩くんの存在は、次第に特別なものになっていった。
【旅立ちのとき】
3年の月日が矢のように過ぎた。春になれば、歩くんは小学生になり、ごみ収集のコースからは離れてしまう。成長が嬉しく、「元気でたくましい小学生になってほしい」と願う反面、顔が見られなくなる寂しさも感じ始めていた。そして迎えた最終日。野村さんは歩くんから、プレゼントをもらった。牛乳パックに青の色紙を貼り付けて作られたゴミ収集車の模型だった。その側面には、力強く「35」の数字が踊っていた。「こころが震えました」と野村さんは言う。「これを励みにして、仕事を頑張っていきたい」野村さんの車に飾られた青い模型は輝きを放っていた。「歩くんには色々と教えられました。これからも人と人とのつながりを大切にしていきたいと思います」全国津々浦々で繰り広げられる別れと出会いのドラマ。そして、旅立ちの季節に始まったであろう新たな挑戦の日々。そのすべてにエールを送りたい。
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