あの日のこと忘れない 舞鶴空襲 追悼慰霊碑に334人692万円の募金 7月29日除幕式 市民から平和願うメッセージ【舞鶴】
投稿日時:2014年07月25日(金)
1945年7月29日の舞鶴空襲で、犠牲となった勤労動員学徒と教師を追悼する慰霊碑の募金を呼びかけたところ、遺族や元学徒、市民たち334人から692万円が寄せられた。「あの日のことを忘れません」「二度と戦争を繰り返してはいけない」といった想いも添えられている。7月29日午前11時から余部上の共楽公園で、約60人が出席して除幕式が行なわれる。米軍は日本の都市49カ所に模擬原爆を投下した。舞鶴もその標的にされ、海軍工廠に5トン爆弾が落とされ、97人が亡くなった。翌日30日には艦載機による攻撃で83人が亡くなった。当時、舞鶴には約2万人の学生が勤労動員されており、舞鶴空襲で20人が犠牲となった。京都市にある洛北実務女学校の生徒だった橋本時代さんも工廠で作業中に爆撃を受け、失明をする大けがを負った。1977年から毎年、空襲の日に共楽公園の鎮魂碑を訪れ、旧友たちを慰霊してきた。昨年12月に84歳で亡くなる前に、空襲体験の記録集をまとめた舞鶴市民に、学徒の慰霊碑建立と費用の寄付の想いを伝えていた。市民たちが結成した建立委員会(戸祭武委員長)が600万円の募金を目標に、5月に計画を発表すると、寄付の動きは予想を越えて広がりを見せた。橋本さんの遺族、元学徒、戦争で家族を亡くした人、東京空襲の体験者、長年踊りのボランティアに務めてきた市民ら多くの人たちが、橋本さんの遺志に応えた。334人の内、3分の1の人が、式典の出欠を確認するはがきにメッセージを書いた。「私たち仲間のいのち、青春をうばった戦争を許すことはできない」「70年経っても決して忘れません。戦争のむなしさと平和の尊さを残された命ある限り語り継ぎたい」「この碑が平和の礎となることを願っています」と、碑に寄せる想いが込められている。同委員会事務局長の関本長三郎さん(70)が寄付者のほぼ全員に電話で聞き取りした中に、海軍工廠に勤務していた男性(99)から空襲体験を聞き、新しい目撃者を見つけることもできた。関本さんは「はるかに予想を越えた人数と寄付で感謝しています。体験者にとっては戦争は風化しておらず、まだまだ胸にしまっておられる想いがたくさんあることを知り、こうした声を集めなければという使命感が高まりました」と話していた。
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