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あとに続く人の標[しるべ]に~友情のメダル 大江さんの記念碑建立

あとに続く人の標[しるべ]に~友情のメダル 大江さんの記念碑建立

投稿日時:2020年07月31日(金)

 北吸の大聖寺(松尾眞弘住職)で23日、郷土出身の五輪メダリストである故・大江季雄さんの追悼法要が執り行われた。また、その功績を称えた記念碑も披露され、法要に参列した関係者らは同寺の宿願達成を喜び合った。

 1914年に、当時の新舞鶴町(七条大門北)で開業医の二男として生を受けた大江さん。新舞鶴尋常小(新舞鶴小)、旧制舞鶴中(西舞鶴高)を経て慶応義塾大に進み、大学在学中は日本新記録を樹立するなど、棒高跳び競技の第一人者としての地歩を固めた。1936年開催のベルリン五輪では、宿敵の西田修平選手と分かち合った「友情のメダル」で広く知られる存在となったが、それから5年後の1941年に、フィリピン・ルソン島で非業の死を遂げる。享年27歳。早すぎる現世との別れだった。菩提寺である等楽寺(京丹後市弥栄町)とともに、大聖寺にも建立された墓碑には、故人を悼む人々の墓参が絶えず、1964年開催の東京五輪の前年には大規模な追悼法要も営まれた。しかし後年、親族が当地を離れたことを契機に同寺の墓碑は引き払われることになり、それ以来同寺では、当地が輩出した英雄の功績を再びしるすことを多年の課題としてきたという。

【奇しくも 再び五輪前年の法要に】

 追悼法要の当日、小雨が降る境内に西舞鶴高の関係者などおよそ30人が集まり、記念碑の除幕式を見守った。等楽寺や親族らの賛同を得て完成した記念碑には、大江さんの肖像と紹介文が刻み込まれた。市スポーツ協会の内藤行雄会長は、「偉業の記憶が薄れゆく中、舞鶴スポーツ界にとっても素晴らしいこと。現役世代の励みになれば」と期待の言葉を口にした。記念碑建立に尽力した同寺総代会代表の牧野博行さん(76)は、「今までの心のつかえが晴れた。大江選手にはお帰りなさいという言葉を捧げたい」と笑顔を見せた。追悼法要の実施計画は、同寺の松尾住職(60)と牧野さんとの雑談から持ち上がったという。同寺で1963年に営まれた「昭和の追悼法要」は、日中戦争のため幻の五輪となった東京大会(1940年)に出場することができなかった大江選手の無念に寄り添ったものだったが、今回行う法要の趣旨として考えたのは「大江選手慰霊と共に世界平和を祈り、全てのアスリートを応援する」というものだった。しかし五輪はコロナ禍のため一年延期となり、結果的に前回の慰霊祭と同様、大会一年前の除幕・慰霊祭となったことについて、松尾住職は「ある意味「縁」の深さを感じる」とし、「現在コロナ禍に翻弄され、無念の涙を飲まざるを得ないアスリートも存在することなどを考えると、今回の記念碑建立と慰霊法要は平和祈願、病魔退散等々、様々なことに通じての意義あることになり、ご本尊様のご加護、思し召しによるものと感謝しております」と話した。時代に翻弄された大江さんの短い生涯から、私たちが学ぶことは数多い。この記念碑が、困難に立ち向かう人たちのしるべになっていくことを期待したい。

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