「殉難者を追悼する会」碑公園に故三浦さんの写真設置 戦争の無残さ、爆沈した「浮島丸」と引揚船「興安丸」【舞鶴】
投稿日時:2010年05月21日(金)
549人が犠牲となった浮島丸事件を伝える活動をする浮島丸殉難者を追悼する会(余江勝彦会長)が、舞鶴の戦後史を写真で記録し続けた故三浦日出夫さんが、舞鶴湾に沈んだ旧海軍特設輸送艦「浮島丸」を1954年9月に撮影した写真をパネル板にし、5月18日、下佐波賀の殉難の碑公園に設置した。海面から機銃とレーダーをさらす「浮島丸」、その後方に引き揚げ者を乗せた「興安丸」が通り過ぎる貴重な1枚が、事件現場近くに常設され、戦後65年のいま、改めて戦争の無残さを語っている。三浦さんは余部下で写真館を営みながら、カメラを手に引き揚げや町の変わりゆく様子を記録。中でも、爆沈から9年を経て無残な姿を見せる「浮島丸」と「興安丸」の写真は、多くの新聞やテレビなどに使われ、三浦さんの代表作になっている。海上保安学校から伝馬船で現場海上に漕ぎ出し、「興安丸」の入港を待った。「浮島丸」に乗って祖国へ帰る途中で亡くなった多くの朝鮮人たちの悲しみや無念さと、抑留から解放され日本へ戻れる喜びに溢れる「興安丸」を対照的に撮影した。毎年8月24日に追悼集会を続ける同会が、事件を具体的に知ってもらうため写真を公園に掲示しようと、親交を持つ余江さんが3年前、三浦さんに写真の使用を依頼。快く引き受けた三浦さんはネガから新たに写真を焼き直し手渡したが、完成を待たずに昨年2月に78歳で亡くなった。写真パネル板は75センチ四方の大きさ。原版の写真をコンピューターでデータ化し、シールに印刷してアルミの複合板に張った。追悼の碑後方にある壁面右側に設置した。拡大されたモノクロ写真にはレーダーの細部や、「興安丸」デッキの通路に立つ多くの引き揚げ者の姿が見える。写真の説明と撮影者などを日本語とハングル語で記入している。余江さんは「三浦さんの歴史をとらえた写真を多くの人に見てほしいという思いもあった。完成を一番に報告できず残念ですが、写真に込められた思いを今後、見学者に伝えていきたい。引き揚げの関係者にも見てほしい」と話している。浮島丸事件 戦時中、青森県内で土木労働などに従事させられていた朝鮮人労働者と家族らを乗せた「浮島丸」が、終戦直後の1945年8月22日、大湊港を出港し、朝鮮半島の釜山へ向かう途中に寄航した舞鶴湾内で同24日、謎の爆発・沈没をし、朝鮮人524人と乗組員25人が亡くなった。
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