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「戦争の悲劇繰り返さない」 犠牲者刻み永久の平和願う 舞鶴空襲 学徒慰霊碑の除幕式  体験、後の世代まで語り継ぐ【舞鶴】

「戦争の悲劇繰り返さない」 犠牲者刻み永久の平和願う 舞鶴空襲 学徒慰霊碑の除幕式  体験、後の世代まで語り継ぐ【舞鶴】

投稿日時:2014年08月01日(金)

 舞鶴空襲で犠牲になった勤労動員学徒と教師を追悼する慰霊碑の除幕式が、空襲の日の7月29日、余部上の共楽公園であった。空襲を体験した学徒、遺族、戦争を知る市民ら約100人が次々と献花し、犠牲者を刻んだ碑に戦争の悲劇を繰り返さないことを誓った。1945年7月29日、米軍が模擬原爆の5トン爆弾を舞鶴海軍工廠に投下し、97人が亡くなり、30日には艦載機による攻撃で83人が死亡。この内、京都師範学校などの学徒、教師の犠牲は20人だった。失明の大けがを負った洛北実務女学校の元生徒、橋本時代さんが1977年から毎年、工廠に勤務して戦争の犠牲となった人を追悼する同公園の鎮魂碑に慰霊に訪れていたが、昨年12月に84歳で亡くなる前に、学徒犠牲者の慰霊碑を作ってほしいと舞鶴市民に託した。建立委員会をつくって募金を募り、橋本さんの遺族をはじめ、元学徒、市民ら335人から目標を超える692万円が寄せられた。元工廠の造船所を見下ろす場所に碑が建てられ、多々見良三市長や遺族らが除幕をし、建立委員会の戸祭武委員長が「願はくは、生き残れる者の追慕の情を解し、後を継ぐ世代の志をうけ結ひ、而して世の永久に平和を願ふ心をあはれみ、世の平安なるに助力せられんことを乞ひ、慰霊碑建立の願文となす」と献辞を述べた。京都市立第二商業学校生徒で犠牲となった安藤良瑞さんの弟の寺西克実さん(79)=京都市伏見区=は「二度と戦争の悲劇を起してはいけない。戦争体験者の私たちが声を大にして上げるべきときだ」と語った。橋本時代さんの遺族の橋本二郎さん(77)=京都市左京区=は「最後まで碑ができるのを楽しみにしていました。おばあちゃんへの一番の供養になります」と話した。舞鶴第二高等女学校教師で犠牲となった藤田至譲さんの教え子だった川﨑美幸さん(83)=行永東町=は、生徒を探しに建物の2階から1階へ降りた藤田さんが爆風に飛ばされ即死した姿をいまも覚えている。自らも爆風で防空壕の奥へ飛ばされたことで九死に一生をえた。「当時の様子を思い出すといまも胸が痛む。100年先も平和であるように戦争の体験を碑とともに語り継いでほしい」と涙を浮かべながら話した。市民たちで碑を守り、慰霊式を続けていく。

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