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 紙面が結ぶ人と人 「c」が50号の節目 町内会長が紡ぐ広報誌 2年かけ辿り着いた理想像

 紙面が結ぶ人と人 「c」が50号の節目 町内会長が紡ぐ広報誌 2年かけ辿り着いた理想像

投稿日時:2021年08月20日(金)

 超少子高齢化や中心市街地の空洞化、地域コミュニティの希薄化など、地方都市を取り巻く環境は年々その厳しさを増している。全国津々浦々で同様の問題を抱える町があふれる中、そうした情勢に真っ向から立ち向かう地域がある。西舞鶴駅前から広がる折原地区で、コミュニケーションの活発化を目指して発行する広報紙が発刊50号の節目に達した。およそ2年を要した道のりでたどり着いた金字塔。片時も歩みを止めず、発行に情熱を燃やし続ける人を取材した。

 このほど50号に達した「折原通信」は、折原町内会の会長を務める堀嶋輝一さん(54)が作成。発刊に至るまで、記事の作成から編集までのすべてをただ一人で担っている。
 同町内会は196世帯。古くからの住民をはじめ、新興住宅地世帯や集合住宅世帯など、その属性は様々。
 「どんな人が住んでいるのか」「どこに子どもがいるのか」など、互いのことを知らない人たちが増え、例にもれず「コミュニティの希薄化」が進みつつある地域だと言える。
 そんな中、若くして会長に就任した堀嶋さん。防犯上や防災上の観点からも、コミュニティの再構築について思いを巡らせるようになっていった。会長就任時の年齢は、同町内会で歴代2番目の若さだったという51歳。受諾をした日の夜は「本当に僕が会長でいいのか」と一睡もできなかった。
 しかし、やると決めてからはとにかく行動した。堀嶋さんは「やっぱりアイツはあかんな。とか若いからできない。と言われることがないようがむしゃらだった」と振り返った。
そうして出来上がった折原通信の第一号は、2019年3月に産声を上げた。
【ルーツは小学生のクラス新聞】
 京橋町内会や伊佐津町内会など、近隣の自治会が広報紙を作っているのは以前から知っていたという堀嶋さん。京橋町内会の当時の会長からも、広報紙の作成を勧められた。
 しかし、堀嶋さんが「折原通信」の作成へと踏み切った理由はそれだけではなかった。
 話は今から40年ほど遡る。当時、中筋小の児童会長を務めていた堀嶋さんが手がけた事業。それこそが、広報紙の作成だった。
 歌番組の結果やクラスの出来事などを手書きで記した広報紙は、「週刊金曜日」と名づけられ、クラスの人気を博した。時代も立場も大きく変わったが、その原体験が堀嶋さんの背中を押した。
 折原通信はA4サイズ4ページが基本で、現在は月2回の発行を続けている。
 内容は多岐にわたり、人物紹介や町内のニュース、住民が育てている花の写真など。発行を続けるにしたがって、多くの声が届けられるようになった。
 「いつも楽しみにしています」や「次は何が書いてあるのか楽しみ」、さらには「これまで回覧板は回すものだったが、読むものに変わった」というものもあった。
 そんな喜びの声にやりがいを感じるという堀嶋さんは「極力同じ記事がないよう、皆さんが飽きない草の根新聞を作っていきたい」と力を込めた。
 情報が行き交うことで、少しずつ活性化しつつある町内会。先日行われたソフトボール大会には、町内有志の応援団が駆け付けるなど、情報のつながりが人のつながりを促している。
 「50号は通過点。会長の任期が終わっても、関わっていきたい」と話す堀嶋さんに、地域づくりの原点を見た。

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