和算の問題と解答を書き奉納 朝代神社にかつて「算額」、復元を呼びかけ 【舞鶴のニュース】
投稿日時:2002年10月08日(火)
日本独自の発展をとげた数学「和算」の問題と解答を書いて、神社仏閣に奉納した算額(さんがく)が、かつて朝代神社に掲げられていたらしいことを示す資料のコピーを、舞鶴地方史研究会会長の小林清さん(75)=余部上=がこのほど入手した。山形大学図書館所蔵の算額集の中に載っており、出題者の「佐谷代助」は牧野家の記録にも出てくる人物。正三角形に接する円の直径を求める問題などが書かれている。小林さんは同神社の算額の復元を呼びかけている。
日本の数学は、中国の数学書を日本向きに翻訳した「塵劫記」が、1627年(寛永4年)に出版され広まり、江戸時代の大ベストセラーにもなった。続いて、「和算の祖」の関孝和が出て数学を大きく発展させた。明治以後、学校教育に西洋式数学が導入され、和算はすたれた。
和算の不思議さは実用的な利用から次第に庶民のなぞ解き、趣味の一つとなり、師匠に弟子入りする人や、和算家が各地を遊歴して教えたこと。また、難問が解けた喜びと神仏の加護を込めて奉納した算額は、農民や職人も納めたとされ、全国にあったが今は残っているものが少ない。周辺では宮津の文殊堂などに保存されている。
元建築業の小林さんは、和算に関係する大工道具を使っていたことから和算に興味を覚え、舞鶴の寺社で算額を調べたが見つからなかった。数年前に読んだ数学書に載っていた和算の問題が、朝代神社にあった算額からの出題とあり、著書の1人の高校教諭、深川俊英さん(岐阜県可児市)に問い合わせたところ、問題の出典となった「神廟佛閣算額集 上」のコピーが送られてきた。
算額集は最上流の算額を書き集めたもの。「丹後國田邊淺城大明神者一事」に続き、円に関する出題と答えが書かれている。奉納者には「最上流 市瀬長浜衛帷長門人 牧野駿河守家中 佐谷代助」とあった。年号は享和3年(1803)。「佐谷代助」を調べたところ、「牧野家譜録」に名前があり、寛政3年(1791)に警備の役目に召しだされ、その後学問所記録方となった。これらを手掛かりにかつて朝代神社に算額があったと考えた。
小林さんは「これをきっかけとして舞鶴の和算をはじめとした科学史の1ページを開きたい」と話していた。西地区のまちづくりグループや友人らに算額の復元を呼びかけている。
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