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満願寺で歴史的発見  黒釉白堆線文壺 国内で初めて出土

満願寺で歴史的発見  黒釉白堆線文壺 国内で初めて出土

投稿日時:2020年11月20日(金)

 府埋蔵文化財調査研究センターが13日、昨年度に実施した満願寺跡(万願寺)の発掘調査で、中国北部の河北省にあるで中世に作られた「黒釉白堆線文壺[こくゆうはくたいせんもんつぼ]」の破片が出土したと発表した。この陶磁器が国内で出土したのは初めてで、同寺が当時に大きな勢力を持っていた可能性を示す材料になるとし、大きな注目が集まっている。

 中国・河北省の磁州窯では、主に日用品の陶磁器が生産され、国内ではこれまでに58点が確認されている。その中でも今回見つかった黒釉白堆線文壺は、これまでに国内で出土した例はなく、大阪市立東洋陶磁美術館が完全な形で所蔵しているものなどは、明治以降に骨とう品として持ち込まれたものだという。同壺は表面に白い線状の粘土をつけて描かれ、黒い釉薬が全体に施されているのが特徴。今回の発掘調査で6点の破片として出土したものをつなぎ合わせると、特徴である白い線が3本確認されたことから特定に結び付いた。同種の壺は、同窯で1160年から1220年にかけて生産されていたことが分かっており、建保年間(1213~1219年)であると伝わる満願寺の創建時期に重なる。
同時期に磁州窯で生産されたとされる陶磁器が国内では、白などを基調としたもの10点が仁和寺(京都市)など有力寺院などで発見されていることから、満願寺は単に当地の有力者であるというより、中央権力に繋がる大きな勢力を持っていたのではないかと見られている。

【創建当初は 全国有数の大寺院か】

 今回の調査は、砂防ダムの建設に伴い実施。その結果、鎌倉時代から室町時代に同寺が複数回建て替えられたことを示す、礎石建物や石組み溝などが見つかった。同寺は縁起や資料によると、建保年間に僧弁円によって創建。本尊の木造十一面観音坐像(府指定有形文化財)には建保6(1218)年の銘が残されている。その後、時期は不明ながらも火災により焼失し、室町時代に規模を縮小して再建。しかし再び室町時代末期の1570年頃、野火により焼失し、江戸時代に入った1661年~1673年に再建された。今回の調査で黒釉白堆線文壺が出土したのは、火事の後始末をしたと見られる直径およそ30センチの穴。細かい破片などが約1万点出てきたという。同センターの竹村亮仁主任によると、そのほとんどは日用品として利用していたと推測されるものだという。創建当時は七堂伽藍があったという記録もある満願寺。竹村主任は「希少な陶磁器の入手は、大きな勢力がないと難しい。大規模な寺院で多くの僧たちが起居していた可能性は大きい」と話した。出土した黒釉白堆線文壺の破片は他の出土物とともに、南田辺の市郷土資料館ホールで23日まで展示される。午前9時~午後5時(入場無料)。またとない機会に、歴史ロマンへ思いをはせてみてはいかがだろうか。

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