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与保呂の民話「蛇切岩」後世へ 地域の活性化に会を立ち上げ 【舞鶴】

与保呂の民話「蛇切岩」後世へ 地域の活性化に会を立ち上げ 【舞鶴】

投稿日時:2006年01月06日(金)

 東地区の多門院・与保呂・行永・森と広い地域に伝わる悲恋の民話「蛇切岩」を、多くの市民に広め、後世に長く伝えようと、市民グループ「じゃきりいわの会」(世話人、西村敏弘さん)が立ち上がり、今年から案内板の設置や桜の植樹などをして、地域の活性化につなげようと計画している。民話にまつわるスポットが、物語を繋ぐこれらの広い地域に多数点在しており、舞鶴の「まちの宝」(地域資源)として活用、伝承する。民話の物語は、多門院の黒部(くろぶ)小町とうたわれた美しい娘が与保呂奥の池の畔で美青年と恋に落ちたことから始まる。2人は親の反対などで結ばれず、娘は池に身投げして大蛇に変身する。この大蛇が暴れて住民に危害を与えたため、住民たちは困り果て、モグサで作った牛形に火をつけ、大蛇に食べさせる。大蛇は熱さのためにのたうちまわり、大岩(蛇切岩)に激突して3つに切断される。大蛇の祟りを恐れた村人は、頭を与保呂の日尾池姫神社、胴体を行永のどう田の宮、尻尾を森の大森神社に祀ったという。この民話に着目したのは、与保川沿いに桜の植樹活動を続ける市民グループ「舞鶴ドリーム 与保呂川を桜の天にする会」の代表を務め、じゃきりいわの会の世話人となった西村さん。平成4年から始めた桜の植樹は、今では「与保呂川の千本桜」として、市民に親しまれている。多門院と与保呂川上流から下流域を舞台に展開される民話は、あばれ川(与保呂川)に対する畏敬と流域の人々の繁栄を願ったもので、その趣旨は地域の活性化を目指す「桜の天の川にする会」と相通じるものがある。現在、会員は桜の天の川にする会や民話の地元の有志ら15人。また、民話の別名称として「民話の里 与保呂(多門院)黒部小町の悲恋物語」(蛇切岩神社縁起より)と名付けた。会の取り組みとして、これまでに民話の掲載された文献、民話に関する地元の小学校での取り組みなどを調べるとともに、民話の歴史的背景なども探った。民話は昔からおじいさんやおばあさんから口伝えに語り継がれてきたものだが、文献では、昭和7年に刊行され、与保呂小学校第6代校長の池田義雄氏が編集した「郷土史(与保呂)」に初掲出されていることが分かった。この他にも、舞鶴青年会議所発行の「まいづるの道・ふるさと民話めぐり」(昭和51年刊)や足立正氏の舞鶴の民話集(昭和61年刊)、それにインターネット(水上弘氏)にも掲載されている。また、与保呂出身で日本きりえ協会会員の由里利信氏(愛知県春日井市)が「蛇切岩の伝説」の作品を発表していることが分かった。この作品は、会のシンボルマークとして採用することを決めた。舞鶴の郷土歴史家の高橋卓郎氏によると、民話の起源は平安時代からのものとみられ、川のもたらす恐怖(洪水)と恩恵(農作物)に対する畏敬の念が民話に込められている。また物語は古代の文明の道を示し、仏教の影響も見られ、いろいろな時代の影を残す貴重な民話であると言う。大蛇を奉る3神社のほか、与保呂川上流域には、「蛇切岩」に由来する巨石、蛇切岩神社、蛇切岩広場などが現存しており、民話の伝説にまつわる宝庫となっている。西村さんは「伝説にまつわる事象のほか、与保呂川流域や多門院には、多くの貴重な旧跡等があります。これらも合わせて後世に伝え継がれるようにしたい」と話している。

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