戦時中の米国兵娯楽のSPレコード「Vディスク」 市政記念館で展示、館内にジャズの曲流れる【舞鶴】
投稿日時:2007年01月26日(金)
戦時中に戦地にいる米国兵の娯楽のため、米国政府が製造したSPレコード「Vディスク」が、北吸の市政記念館2階に展示され、館内に曲を流している。市内の男性が舞鶴にあった75枚を寄贈したもので、ベニー・グッドマンなど、大物ジャズミュージシャンの初期の演奏を収録した貴重な音源。NPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴(馬場英男理事長)は「戦後の舞鶴とジャズの関係を示す品」とし、他のVディスクも探している。 Vディスクは1942年~49年にかけ、製造された30センチの78回転のSPレコード。最前線の戦地や戦後海外に駐留する米兵の娯楽の目的とともに、レコードの普及で失業した音楽家たちに仕事を提供する救済策として、ジャズや軽音楽を中心に録音が進められた。レコードは割れにくいビニライト製。落下傘で蓄音機と一緒に投下された。 軍隊のラジオ・セクションにいた録音技師ロバート・ヴィンセントがこの企画を提案したことから、彼の名前の「V」とVictory(勝利)の「V」をとってVディスクと名付け、800万枚が世界に広まった。その後、金属マスターは破壊され、配布された盤も回収されたが、その網から漏れたものをいまもコレクターが保存する。 旧海軍の町、舞鶴も戦後にGHQが進駐し、Vディスクが持ち込まれ、それらの盤が市民の手元に残ったらしい。同倶楽部舞鶴に寄贈された75枚の中には、デューク・エリントン・オーケストラやレイ・ブラウンなどの初期の演奏が収められる。昨年、神奈川県座間市在住で、200枚のVディスクを収集する大西正則さんが鶴来、寄贈品を調べ講演した。 同倶楽部舞鶴は管理運営する市政記念館で75枚を保管し、その内の一部を展示室に並べる。また、収録されている全曲をCD5枚に入れ直し、同館内で曲をながしている。馬場理事長は「戦後、日本にジャズが根づいた原因の1つになったのかも。舞鶴でも市民が聞いただろうし、他にも残っていないか収集を呼びかけたい」と話す。
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