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在日3世韓国伝統舞踊家・李さん(大阪市) 生まれ育った舞鶴の田辺城まつりに舞う【舞鶴】

在日3世韓国伝統舞踊家・李さん(大阪市) 生まれ育った舞鶴の田辺城まつりに舞う【舞鶴】

投稿日時:2007年06月01日(金)

特別な想いで「扇の舞」を踊る李さん

 5月27日の第16回田辺城まつりで、美しい民族衣装に身を包み、特別な想いでステージに立った女性がいる。在日コリアン3世の韓国伝統舞踊家、李綾子(イ・ヌンジャ)さん(41)=大阪市東成区=がその人だ。舞鶴で生まれ育った18年間は日本名を名乗り、韓国人であることを肯定できずに生きてきた。20歳で伝統舞踊に出会って自分を取り戻し、その道を歩んできたが、「いつかは故郷で踊りたい」との願いを抱き続けていた。  李さんにとって舞鶴市民に披露した初の舞台。舞鶴公園のステージで、「扇の舞」を踊る李さんに観客は「花のようにきれい」と見ほれる。舞踊仲間3人とによる「三鼓舞(サンゴム)」の太鼓演奏では、華麗でリズミカルな動きと音に、大きな拍手が贈られた。「舞鶴で踊る日が来るなんて不思議な気分。きょうはとても感動しました」と、踊り終え晴々とした笑顔で話す。  和田中や東高の少女時代は「福島綾子(りょうこ)」として育ち、母親からは「韓国人は就職が大変だから勉強をしっかりしなさい」と教えられた。在日であることに次第に生きずらさを感じるようになり、韓国の話題を聞くだけで耳を塞ぎたくなる自分がいた。「誰にも相談できず、韓国人であることが負担だった」と振り返る。  転機は20歳。大阪市内で就職した保育園で名前の韓国読みを教わり、同僚に誘われ生野民族文化祭でチマチョゴリを着て踊った。踊り終えると涙が止めどなく流れる。それまで自分をさらけ出せずにいたが、全てを見てほしいと思えた。「あの時のことを思い出すと、いまでも気持ちが高ぶり涙が出ます」。胸を張って「イ・ヌンジャ」と名乗るようになった。  踊りが自分の生きていく証となり、本格的に習ってみようと思った。28歳で韓国へ1年間の語学留学をした際、韓国舞踊の人間国宝、李梅芳(イ・メバン)さんに踊りへの想いを伝え、入門を認められ毎日教室に通った。帰国後も何度も訪韓し指導を受け、関西在住者で初の「僧踊」の履修者の資格を得た。  その後はソウルでの発表会をはじめ、日本でもソロ公演など舞台に立っている。神戸などの小・中・高校でも、日本と在日コリアンの子供たちに伝統舞踊の素晴らしさを伝える活動を続ける。そしていつしか故郷で踊りたいとの想いを募らせた。  「今後も韓国と日本の文化交流のため、舞鶴で踊る機会があればうれしい。踊る姿を見てもらって、以前の私と同じ悩みを抱える子たちにも力になれれば」。その願いが叶ったいまも、特別な想いは冷めることはない。

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