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瀬野さん、シベリア抑留中に白樺の樹皮に短歌 7月17日まで引揚記念館で歌日誌特別展後編【舞鶴】

瀬野さん、シベリア抑留中に白樺の樹皮に短歌 7月17日まで引揚記念館で歌日誌特別展後編【舞鶴】

投稿日時:2007年06月19日(火)

白樺の樹皮に書きつづられた短歌が並ぶ

 舞鶴出身で旧ソ連から引き揚げた瀬野修さんが、シベリア抑留中に白樺の樹皮に短歌を書きつづった歌日誌を展示した特別展の後編が、平の引揚記念館で開かれている。帰りを待つ家族にあてた便りで何を伝えるか言葉に迷ったり、帰国を信じて強く生きようと決意した心の内を、樹皮の表裏に丹念な文字で刻んでいる。来館者はその言葉に、釘付けになったように見入っていた。7月17日まで。  瀬野さんはエトロフ島で終戦を迎え、ハバロフスク付近の収容所を転々と移動する抑留生活を送った。歌日誌は抑留直後の1945年10月から舞鶴港への引き揚げ直前の47年7月までつづられた。縦10センチ、横11センチほどの白樺の樹皮に、ブリキ缶のペンで煤を集めてインク代わりにし、36枚の表裏に約300の短歌と俳句を詠んだ。帰国後、市内の造船所の養成所で所長を務め、95年に87歳で亡くなった。  ソ連軍に見つかれば没収のみならず、再び収容所に送られる危険をおかして瀬野さんは歌日誌を持ち帰り、88年に同記念館に寄贈した。束ねて常設展示され内容は知られずにあったが、NPO法人舞鶴・引揚語りの会のメンバーが解読を進め特別展を企画。拡大して読みやすくするなどして展示し、2月~4月に前編を開いた。  後編は46年11月~帰国直前までの18点を紹介。無料往復はがきが配布され、自分の安否を気づかう家族にはがきが到着した時のことを想像するだけでたまらない気持ちになり、「許されて初の便りぞ家族らに告げむ言葉に惑ひぬるかな」と詠んだ。46年の暮れから帰国が近づくにつれ、いつ帰れるかといった噂や、帰国の希望を詠んだ歌が増える。「恃む帰環の暁は祖国の再建目指さなむ」と前向きな気持ちを持ち続けた。  来館した京都市の女性(83)は「芯のしっかりした人で、日本人の誇りを失わなかったことが伝わり感激しました。私も終戦後、日赤救護班の看護婦として『高砂丸』に乗っていたので、ご苦労がよくわかります」と、当時を思い出し涙をぬぐっていた。

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