『ダイワボウ舞鶴工場 写真で見る70年の歴史』 OBでつくる大和高野会が足跡まとめ写真集 【舞鶴】
投稿日時:2009年04月21日(火)
2007年に閉鎖されたダイワボウの舞鶴工場の足跡をまとめた写真集『ダイワボウ舞鶴工場 写真で見る70年の歴史』が4月18日、完成した。舞鶴工場OBでつくる大和高野会(足達六美会長、会員65人)が、誇りを持って働いていた工場の記録を残そうと企画。全国大会で活躍したクラブ活動、親元を離れて仕事と学業を両立させる女子職員、ふるさとまつりなどの様子を掲載、写真の笑顔から職場の絆と愛着が伝わる。1937(昭和12)年に起工、翌年に日出紡績舞鶴第2工場として操業を開始。41年合併で社名が大和紡績に。戦時中は軍需工場としてゼロ戦闘機の翼の枠を製作し、戦後しばらく自転車を生産していたが、49年に原綿から糸を作る紡績、糸から布を作る織布が稼働し、研究開発も行った。50年代のピーク時には従業員が約1200人いたという。約13万9000平方メートルの敷地内に、女子寮や女子高等学院もあり、主に長崎や鹿児島の中学校を卒業して入寮し、働きながら学んだ女性も多く、55年学院には約500人が学んでいた。2007年6月に起きた火災で床面積3万6000平方メートルの内、3分の2を焼損し、9月末で工場の歴史を閉じた。昨年4月、高野会は城南会館で開いた工場の歩みを紹介した写真展を機に、思い出深い工場を後世に伝えたいと、元女性職員も加わり実行委員会(阿部國彦代表、16人)を組織。6月から写真の提供を呼びかけ、なるべく多くの顔を載せるよう編集作業を進めた。写真集はA4判、159ページ。50年ごろの製造機械が稼働する生産現場、名札板がずらりと並ぶ女子寮廊下の壁、コーラスなどのサークル活動やレクリエーションで出掛けた海水浴ではしゃぐ様、59年に9人制の実業団都市対抗全国大会に出場した女子バレーボール部の活躍、メーデーで仮装しての行進など、委員らが最も回想した昭和20~40年代の写真を多く掲載した。72~80年には出身地の祭りを披露するふるさとまつりが開かれ、見学する市民で賑わう中、北九州のちょうちん山笠などの祭りの写真も収められた。日本などの出来事と対応した工場の年表、OGが思い出を綴った文も添えた。47年~98年まで勤務の足達さん(76)=倉谷=は「1杯のうどんを分け合って食べるなど衣食住の足りなかった時代でしたが、心のつながりが強かった。立派な工場でした」、閉鎖まで38年間勤めた阿部さん(65)=七日市=は「ふるさと祭りが1番印象深い。写真集をめくれば、いつでも心の中で当時の青春に帰れることを願っています」と話す。同高野会や委員らが資金を出し合って150部作成、会員や元職員を対象に有料で配布した。
【問い合わせ】電話76・7023、阿部さん
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