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特集「人物館」より ニャンドゥティ伝えたい パラグアイ出身 秋栗(あきぐり) マキさん 舞鶴で繋がった糸【舞鶴】

特集「人物館」より ニャンドゥティ伝えたい パラグアイ出身 秋栗(あきぐり) マキさん 舞鶴で繋がった糸【舞鶴】

投稿日時:2013年02月12日(火)

パラグアイと舞鶴が繋がった糸
ニャンドゥティ

南米のパラグアイで生まれ、永住権を取得して日本に住んで17年目。その大半を舞鶴で過ごし、人との繋がりが増える中、母国の伝統手芸品「ニャンドゥティ」や、クラシックハープに似た民族楽器「アルパ」を、舞鶴の人たちにも知ってもらいたいと思い始めた。
「舞鶴で初めて働いた工場は、差別もなく、みんな優しくしてくれて仕事も楽しかった」。14年間、日本板硝子の下請け工場でガラス検査の仕事をしていた。ほとんど話せなかった日本語は、学校には通わず、工場の仕事で接する周りの人たちとの交流の中で覚えていった。
 パラグアイに家族で移住した日本人の母が、パラグアイ人の父と結婚。母親の家族は離ればなれになり、母方の祖母を捜すため、19歳で母国を離れ日本へ来た。クリーニング工場の求人を頼りに、母と2人で島根県に移り住む。半年後、父と弟も来日。仕事が無くなり、母方の叔父のいる滋賀県へ4人で移り、次の年にガラス工場の求人をみつけて一人で舞鶴にやって来た。
 数年後から姉を含めた家族5人が揃い、10年程舞鶴で暮らしていた時期もある。弟の竹辺エイジさんは、今も舞鶴でフットサルの指導やスポーツバーの経営などを続けている。「舞鶴でフットサルを続けている弟を誇りに思います」
 現在は、赤れんがパーク5号棟で開催中の「種は船ドキュメント展」で、受付などのアルバイトをしている。イベント関係者や展示物とのふれあい、5号棟のアンテナショップ「舞鶴巧芸」や「アトリエ海(うみ)」の出店者らとの交流の中で、自身も挑戦してみたかった母国の伝統手芸や音楽を伝えたい思いが溢れてきた。
 「工場の仕事が多かったので、こんなにいろいろな仕事をしている人たちと出会える場もあることを初めて知った。一つのきっかけで生まれた繋がりを活かしたい」
 東京でニャンドゥティ教室を開く、パラグアイ人の岩谷みえエレナさんを舞鶴に招待し、新たな繋がりの扉が開くことに胸を膨らませている。
 パラグアイの伝統手芸品「ニャンドゥティ」に興味のある方は、【問い合わせ】電話080・1446・0228、秋栗さんまで。

【プロフィール】1977年生まれ。パラグアイ・首都アスンシオン出身。1997年から舞鶴に居住。スペイン語、ポルトガル語、日本語が話せる。現在はアルバイトと、9歳の娘と4歳の息子の子育てに奮闘中。泉源寺。

写真右=ニャンドゥティ:グアラニー語で「蜘蛛の巣」という意味の、極細の糸を使った細かい刺繍の手芸品。小さな敷物からワンピースまで製作できる。(岩谷みえエレナさん提供)

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