ホフマン窯の時代 煉瓦の記憶 赤れんが博物館で神崎の写真など展示 保存修理工事に併せ企画展【舞鶴】
投稿日時:2013年04月19日(金)
浜の赤れんが博物館で、国内に4基しか残存しない国登録有形文化財のれんが製造窯「神崎ホフマン窯」の小企画展が行われている。国内外のホフマン窯の歴史や仕組みも併せて特集しており、開館当初からの常設コーナーに貴重な写真約40点などを新たに展示。昭和30年頃の働く人々の姿なども紹介されている。5月31日まで。
「神崎ホフマン窯」は明治30年に登り窯として、京都竹村丹後製窯所が煉瓦生産を開始。その当時の写真と経理書面の写しも展示されている。その後、大正末期に100~200万個の煉瓦を焼くため、長時間焚き続けられるホフマン窯に改造され、昭和33年まで稼働していた。
写真は宮津市の郷土史家の故中嶋利雄さんが撮影した。舞鶴市史専門委員も務めた。稼働末期の昭和30年頃の、リヤカーで煉瓦を運ぶ女性の姿などの写真が展示されている。危険を伴う煉瓦の積み卸し作業にも関わらず、女性たちは素手と足は草鞋(わらじ)履きで作業をしている様子が写されている。煉瓦の源土運びや面取り作業に女性の姿が多いのは、高温の窯の上での石炭入れの重労働を男性が行っていたためとされ、主に神崎の住民たちが働いていたという。
稼働を止めてから長く放置され、傷みも進行していたが、昨年11月から管理団体の財団法人・舞鶴文化教育財団が保存修理工事を開始。多くの人に見てもらえるよう、産業観光の核にと進めている。
その参考モデル紹介として、3基のホフマン窯と公園が一体となったドイツ・ベルリンのミルデンベルク煉瓦産業公園の様子も展示されている。附属施設や窯の内部で煉瓦製造についての学習ができ、稼働当時に煉瓦を運んでいたトロッコで入園客を案内するなど、家族で地元産業の歴史を勉強出来る場所となっている事例を紹介している。
また、今までほとんど解説されたものが無く、分かりにくかったホフマン窯の焼成法を詳しく紹介したイラストや、大阪府岸和田市に建ち並ぶ昭和30年頃の解体直前のホフマン窯の様子も見ることができ、残存する「神崎ホフマン窯」の歴史遺産としての重要性が分かる展示となっている。
午前9時~午後5時。期間中の休館日はなし。一般300円、学生150円。
【問い合わせ】電話66・1095、同博物館
写真左=手前に登り窯、奥にホフマン窯を望む。左手の小屋や右手には登り窯の燃料の薪が見える。
写真右=生乾きの煉瓦素地を「しっぺ板」で叩いて面取りをする作業。熟練を要したので慣れた人が行った。
※いずれも企画展に展示されている昭和30年頃の写真(提供:京都府立丹後郷土資料館、撮影:中嶋利雄氏)
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