戦争・空襲メッセージ編さん委員会 戦争一色の市民生活後世に 一言集づくり、地域で座談会開き伝える 7月29日、市政記念館で集会【舞鶴】
投稿日時:2013年07月09日(火)
昨年夏、舞鶴空襲の体験を聞き取りまとめた本を刊行した戦争・空襲メッセージ編さん委員会(蒲田忠夫・呼びかけ人代表)が、戦争一色だった暮らしや思い出を掘り起こそうと、一言集づくりや地域での座談会に取り組んでいる。戦争を潜り抜けた人たちから、体験を残しておきたいと次々と話が寄せられている。7月29日に体験を聞く集会を開くほか、冊子やDVDづくりも計画中だ。
1945年7月29、30日に舞鶴海軍工廠に米軍の模擬原爆の爆弾が投下されるなどし、184人が犠牲となった。同委員会は元動員学徒や工員たちから話を聞き、手記を寄せてもらうなどして昨年7月に出版した。
その後、感想などが30通寄せられたのをはじめ、多くの反響が届いた。その中には舞鶴空襲以外の記録することができなかった具体的な体験も多くあり、非戦闘員だった市民の生活にも光を当て、証言を集めることにした。
元学徒や本の購入者たちに、心から離れない体験を短文で綴ってもらう一言集をつくることにし、5月から約100人に募ったところ、約30人から寄せられた。
1943年、小学校5年生だった女性は「父が南洋方面で戦死し、3人の子供をかかえた母の苦労は並大抵ではなかった」、中舞鶴に住んでいた人は「2階に工員が下宿し中舞鶴の住宅は海軍のための住宅と化していた。朝出かける行進の『ザクザク』という音がした」などと記す。多くの人が「日本は神国で戦争に負けるはずがない」「鬼畜米兵と憎み、必ず敵をとってやると思った」と軍国少年少女だったと振り返る。
老人会の協力も得て、6月から各地域で座談会を開き、体験を語り合う活動も開始。すでに溝尻や中舞鶴地区で行い、今月は行永大迫などでも予定している。こうした体験談をDVDにまとめる計画も立てている。また、集会は7月29日に北吸の市政記念館で予定している。
同会事務局長の関本長三郎さんは「話を聞けば聞くほど、心の片隅にあった思いが噴き出して、だまっていた人も体験を語り始めるようになっています。子供たちにも伝えていけるような取り組みにつなげたい」と話す。
写真=同会事務局長の関本さんの元に届けられた戦争体験を綴った一言集
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