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無形民俗文化財 地頭太鼓・大俣太鼓−鳴り響く伝統文化

無形民俗文化財 地頭太鼓・大俣太鼓−鳴り響く伝統文化

投稿日時:2016年10月14日(金)

 9日、西飼神社などの地頭(じとう)地区を練り歩き太鼓を舞うように打つ「地頭太鼓」、嶽神社などの大俣(おおまた)地区を練り歩き太鼓を打ち鳴らす「大俣太鼓」、2つの伝統行事が行われた。地頭太鼓は、氏子総代宅、天神さん、稲荷さんなどを練り込みながら、一方の大俣太鼓は、木戸神社、檀神社、嶽神社などを練り込みながら西飼神社へと向かった。由良川沿いの福知山市大江町側に位置する地頭、大俣地区には、全国各地にある鬼退治伝説の中でも有名な大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)伝説に縁のある地頭太鼓、大俣太鼓が伝承され、昭和40年に舞鶴市無形民俗文化財に指定された。平安時代、一条天皇の勅命により、源頼光(通称:らいこう)が、藤原保昌と四天王(藤原綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光)を従え鬼退治に行く時、戦勝を祈願して西飼神社で打ったと伝えられているのが地頭太鼓。退治した一行の凱旋を祝って嶽神社で打ったのが大俣太鼓の始まりと伝えられている。当日、西飼神社では大俣太鼓が先に奉納、その後地頭太鼓が境内までの坂道を綱で引き上げられて奉納された。大俣太鼓は、大太鼓(1人打ち)から始まり、舞打ち(1人舞、2人舞)、まわり打ちと続き、最後は、テンポの速い大太鼓で打ち切り。戦勝を祈る意味から、下から上へと打ち上げられる地頭太鼓では、大太鼓から始まり、組打ち、舞打ち、まわり打ちと続き、最後は早打ちで終えた。大俣区長の小杉孝行さん(65)は「過疎化、高齢化の中、厳しい状況ではあるが私たちが保存していかないといけない。皆さんのご協力をぜひお願いしたい」と語った。地頭太鼓保存会の佐藤淳一会長(60)は「昔は子どもがたくさんいたが現状は7人。無形民俗文化財として、たとえ子供が一人になっても続けていきたい」と決意を語った。地域の伝統行事を取り巻く、厳しい現状の中で伝統を守る人たちがいる。この日のために地元へ帰ってくる人がいる。力強く、清々しい太鼓の響き。伝統を絶やしてはいけない。

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