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神崎盆踊り-こころの記憶 たぐりよせ

神崎盆踊り-こころの記憶 たぐりよせ

投稿日時:2016年12月13日(火)

月一回、メンバーが集まり「神崎盆踊り」を踊る

「何じゃ聞こえなんだ やよござれ」「ヨーやよござれ聞こえなんだなんじゃ」
毎月第3水曜日、西神崎公民館に「神崎盆踊りの会のメンバー」が集まる。同会は現在20人で活動。地元の文化を残そうと同会の代表河田春枝さん(75)が中心となり、10年ほど前から地元の人と共に普及活動を続けている。神崎盆踊りは「音頭を取る人」と「側の衆」の掛け合いによって、言い回しが変わり、踊りが繋がっていく。言葉も神崎独特の言葉で興味深い。正式な資料がなく、いつ頃から始まったのか、いつ無くなったのかなどは不明、音頭も音符がある訳でなく口伝を、地元の長老などを尋ね歩き、少しずつ再現している。「30番まで言い回しがあるはずですけど、やっと半分くらい再現できました」と河田さんは語る。しかし、昔からこの地に住んできた人たちは、かつて踊ったことを心と体で覚えている。同会で最高齢の浜田好子さん(89)と池上悦子さん(89)は「小さい頃から踊りました。夏のお盆から3日間、学校に櫓を立ててみんなで夜通し踊りました」と笑顔で語り「歩けるようになったらもう踊り子。仕事の合間に顔を隠す縫物を作って顔がわからないように踊って、ばれるダメで、家に帰って違う恰好で踊りに行くんです。何度もばれるともう隠すものが無くって、なんでもいいから被ったり、昔は村で唯一の楽しみでしたよ」と当時を振り返る。急速に衰退していったのはテレビなどの娯楽の普及ではないかとも語った。河田さんは「踊ってくれる人がなかなかいない。絶やしたくないという思いがあります。テープに録ったりもしているが、正式な記録として冊子を作りたい」と思いを語る。神崎踊り普及を支える吉武恭子さん(84)は「神崎盆踊りのような、掛け合いの踊りはなかなか無い。舞鶴市史にも記載されていますがルーツは謎、北前船を通して渡ってきた可能性があります」と語った。

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