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あの日にかえって15回目の夏

あの日にかえって15回目の夏

投稿日時:2017年07月07日(金)

 旧由良川中で1日、由良川中と間人中(京丹後市)の野球部OBによるソフトボールの交流試合が行われた。両校OBによる交流試合は、今回が15回目となった。

【試合で決着がつかなかった決勝戦】

 昭和29年夏。丹後地区代表をかけた軟式野球の決勝戦で、両校は相まみえた。試合は白熱した投手戦で0対0。日没のため延長戦には入らず、勝敗はジャンケンで決した。勝者は由良川中。9人で対決したジャンケンで、5対4。薄氷の勝利だった。「やっぱり、試合で決着をつけたかった」と由良川中の2番で右翼を守った小谷要一さん(77)は、振り返る。「だけど先生の決めることに従うより他なかった」同校野球部は、その後宇治市でひらかれた府下大会では、あっけなく一回戦で敗退する。「とにかく暑かった。前日入りした宿舎でもみんな寝つけず、田舎者の我々は大きな大会の洗礼を受けた」慣れないマウンドに苦しみ実力を発揮できなかったエースの田中勝さん(川西市)は述懐する。捕手で主将だった大森仁さん(茨木市)も同様に当時を振り返るが、63年前の夏、府下大会で敗れた相手のことはチームの誰もが思いだせない。だが、丹後の雌雄を決した間人中との一戦は、それぞれの心に深く刻まれていた。

【待ち望んだ再戦】

 平成14年。それぞれが還暦を過ぎたある日、由良川中OBのひとりが、四国で開催されたシニアの野球大会に、間人のクラブチームが出場することを新聞紙面で知った。「あの時のメンバーがいるかもしれない」すぐに役場に連絡すると、やはり当時からずっと野球を続けていた間人中OBが所属していた。「あの夏の再戦を」話はとんとん拍子に進み、半世紀を超えた再戦が実現することになった。還暦を過ぎた選手らは、中学時代にタイムスリップし、夢中で白球を追いかけた。髪は白くなり腹は出て、足はもつれる。野球は無理だとソフトボールに姿を変えたが、こころは野球少年のみずみずしさに溢れていた。それから15年。野球少年は、喜寿を迎えた。各地から集まったメンバーは18人。当時の試合に出た人には亡くなった人もいるという。だが、両校ともに純正の部員だと胸を張る。当時の1年生も混じった今回の両チーム。共に同じ時代を生きた男たちが、ただ無邪気に白球を追い、グラウンドを駆けた。「いつまでできるか分からないが、できる限り続けたい」間人中で主将を務めたエースの中江平治さんは話した。梅雨空に束の間のぞいた陽光が、喜寿の少年にエールを送っているようだった。

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