つないだタスキは3世代 花ひらいたダンスの文化
投稿日時:2017年07月21日(金)
伊佐津にある畑本久美ダンススクールが、来年55周年を迎える。長年に渡り当地のダンス文化を担ってきた同スクールだが、指導者は創業から3世代目に入り、新たな挑戦の日々を送っている。
昭和39年。畑本久美さんが、創作舞踊研究所を発足させたのが同スクールのはじまり。平成5年にはジャズダンス科を設立し、同12年には現在の新スタジオを完成させた。「踊りを通して子どもたちの輝きを引き出していきたい」時代が移り変わる中、ひとつの信念を貫き、スクールを運営してきた。現在は毎週土曜日、小学生低学年の児童から高校生まで11人が、レッスンに通う。目下のところ、23日に京都府中丹文化会館で開催される「ジュニア文化祭」出演に向けてのレッスンに励んでいる。生徒らを指導するインストラクターは、芦田侑卯子(ゆうこ)さん(37)と、大石菜生(なお)さん。全く趣の異なるダンス生活を歩んできた二人だが、「子どもたちには、まずは楽しんで踊ってほしい」と共に話す。それぞれが歩んだダンスの道。言葉には、二人の思いが刻み込まれていた。
[プレイヤーから指導者へ]
宮津出身の芦田さんは、当時あった同スクールの宮津校でダンスを始めた。きっかけは好奇心。7歳の女児は、すぐにのめりこんだ。ダンス中心の学生生活を送り、進路は日本女子体育大で舞踊を専攻した。卒業後は、憧れだったディズニーランドでダンサーの職に就いた。18の時に受けたオーディションには落選し、夢に見た檜舞台。演者が限られるクリスマスイベントに出演したりと、夢のような6年間を過ごした。その後、フリーのダンサーとして活動して、33歳で帰郷することになる。「夢は叶うと日常になる」プレイヤーとしてのダンスに物足りなさを感じ始めていた。地元でダンスの素晴らしさを伝道したい。指導者の夢が日増しに育ち、導かれるようにスクールの門を叩いた。
[自分を磨いたその先に]
大石さんは、創業の畑本さんが祖母にあたる。物ごころがつく前から、ダンスは常に身近にあった。さながら言葉を覚えるように、踊ることを身につけた。しかし、母から教わるレッスンは厳しく、いつしか不満が育った。思春期になると、母と衝突することが増え、次第にダンスから遠ざかった。目的を見失い彷徨う日々、練習に励む子らを羨む自分がいた。「私も踊りたい」だが、その一言が言えなかった。芦田さんがスクールを訪れたのは、そんな頃のことだった。東京でダンサーをしている。話は聞いていた。初めて目にした芦田さんのダンス。衝撃を覚えた。ダンスはもとよりストレッチに至るまで、練習方法の全てが新鮮だった。「完全にスイッチが入った」大石さんは言う。それから再びダンス漬けの日々が始まった。現在は、市内の中学校でダンス教室の講師も務める。教室に通う生徒とは違い、積極的に踊りたくない生徒もいるという。接し方にも悩み、試行錯誤の日々だが、ダンスに触れて、ある生徒の不登校が改善されたり、学校での授業がきっかけで、スクールに通うようになった生徒もいる。教える喜びを感じ始めながらも、「自分はまだ指導者といえない。もっとスキルアップをしたい」と大石さんは前を向く。55周年を目前に控え、歴史あるダンススクールは、新たなステージへと踏み出そうとしている。「誰でも楽しめて、知識が無くてもダンスは国境を越えられる」芦田さんは、ダンスの魅力を語る。「日々汗を流す子どもたちの夢のアシストをしていきたい」当地に咲いた熱い情熱が育んだダンスの文化。一層の高みを目指す二人のダンサーにエールを送りたい。
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